2018年5月26日土曜日


牧師の日記から(163

520日(日)主日礼拝。ペンテコステ合同礼拝、聖餐式。Ⅰペトロ書の講解説教の3回目。この手紙には、「あなたがた仮住まいの者」という表現が繰り返し出てくる。英訳聖書ではExile(亡命者)とかAlien(異星人)と訳されている。敢えて言えば、生を徹底して相対化するとき、初めてこの世に執着せず、誠実に真実に生きることができるのではないだろうか。余命半年と宣告された人の最期を看取ったことがある。彼はしばらくの苦悩の後、残された限られた日々がいとおしくかけがえのないものになったと語っていたことを想い出す。

21日(月)朝9時の新幹線で京都へ。日本クリスチャン・アカデミーの決算理事会に出席のため。会議が終わった後、将来の人事構想について理事長たちと協議する。私もそろそろ交代しなければならないのだが、容易に後任を得られないのが悩み。夜遅く帰宅。この年になると日帰りの出張は応える。

22日(火)午後から『時の徴』の編集委員会。前橋や鹿児島からも7名の同人が集まって、購読者約500通、購読依頼の寄贈分約400通、合計900通の発送作業。作業をしながら、キリスト教界の現状についていろいろ議論をする。10月には教団総会があるのだが・・・。9月の初めに、鹿児島加治屋町教会で購読者の研修会をすることになった。鹿児島は今西郷隆盛ブームの渦中だが、加治屋町教会は西郷や大久保の出生地にある。久しぶりの九州行きが今から楽しみではある。

23日(水)午前中、聖書を読み祈る会で士師記11-12章のエフタ物語を取り上げる。士師エテロがアンモン人との戦闘に勝利したとき一人娘を人身犠牲にしたというエピソードは、明らかにカナン宗教との混淆を暗示する。部族連合時代のイスラエルの宗教事情がそこから透けて見えるだろう。

24日(木)朝一番で錦糸町の賛育会病院に行き、胃カメラの検査。年に一度はこの苦行に耐えなければならない。胃癌などの兆候はないが、逆流性食道炎の症状があるとのこと。検査をすればするほどいろいろ問題が出てくる。いったん帰宅して、午後から西早稲田のキリスト教会館へ。管理組合の仕事をいくつか処理し、後は6月のプログラム「編集者にその本音を聞く」の案内の印刷と発送をする。夜は、この2月に教団社会委員会でした「天皇の代替わりと大嘗祭」についての講演を原稿にしてメールで入稿。6月の教会予定表の作成。来月は講演や研究発表が重なっていて、忙しくなりそうだ。

25日(金)午後から農村伝道神学校の授業。この日は新渡戸稲造について講義。受講生のよく準備されたリーディング・レポートがあり嬉しかった。帰途、新百合ヶ丘の梅本順子さん宅を家庭訪問。駅まで順子さんが迎えに来てくれて、お宅に伺う。白を基調とした落ち着いた応接間でフルーツポンチとパンプキンのお菓子、コーヒーを頂く。しばらく四方山話をして、短く祈って失礼する。順子さんの妹さんが恩寵教会のオルガニストと聞いていたが、研究仲間の吉馴明子さんが共通の知人だと言うことが判明する。夜は6月の講演の準備。(戒能信生)

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