2018年5月12日土曜日


牧師の日記から(161)「最近読んだ本の紹介」

山崎正和『不機嫌の時代』(講談社学術文庫)森鴎外、夏目漱石、志賀直哉といった明治の文士たちの不機嫌の正体を分析した文芸評論。ずっと以前に斜め読みしたが、必要があって改めて読み直した。「不機嫌」という気分を手掛かりに、明治期の知識人たちの心情を読み解こうとする。著者によれば、「近代人でありながら近代的自我を実感できない」という内面的空洞こそが、彼らの不機嫌の正体とされる。この「近代的自我」の問題と、明治期のキリスト者たちの罪意識の問題は通底するところがあるのではないか。例えば植村正久は福沢諭吉を高く評価しながら、しかし福沢には罪に対する理解がないと批判しているのだが…。

黒崎真『マルティン・ルーサー・キング 非暴力の闘士』(岩波文庫)キング牧師の短い生涯と公民権運動の全体をコンパクトに紹介してくれる。バーミンガムでのバス・ボイコット運動や1963年のワシントン行進での「I have a dream」の演説については、これまでも説教などで幾度か紹介してきた。しかしそれ以降、1968年に暗殺されるまでのキングの苦闘と挫折についてはきちんと理解していなかった。それはベトナム戦争への反対や「貧者の行進」に象徴される政治的・経済的な不正義・不公正に対する取り組みだった。それは当時、政府には受け入れられず、マスコミの評価も高くなかったので、公民権運動の拡がりの中でもキングは孤立していたという。その最中での暗殺だったのだ。つまり私たちにとって美しく都合の良い物語だけではなく、生身のキングの闘いから、その非暴力抵抗の信仰と思想を改めて学び直す必要があるのだろう。

鶴見俊輔・重松清『ぼくはこう生きている きみはどうか』(潮文庫)鶴見俊輔と作家の重松清との対談集。教育というテーマを中心に、鶴見の少年時代からの痛切な体験が語られる。改めてこの稀有な思想家の生涯に思いを馳せた。

宮崎賢太郎『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』(角川書店)明治の初め、長崎の大浦天主堂に潜伏キリシタンが現れたという奇跡的出来事を、批判的に検証したもの。潜伏キリシタンたちの信仰は、カトリック信仰というよりも、祖先からの宗教習慣を守って来たに過ぎないというのだ。著者はそこから、この国でキリスト教徒が増えない理由を探っていて、考えさせられた。

田亀源五郎『弟の夫 14』(双葉社)連休中、たまたまNHKテレビのドラマ『弟の夫』の再放送を観た。双子の弟がカナダで病死し、その「夫」とされるカナダ人男性が兄の許を訪ねてくる。弟の同性愛を心の中で受け容れられなかった兄が、「弟の夫」との出会いの中で徐々に心を開き、理解を深め、家族として迎え入れるまでの顛末を描く。先週紹介した平良愛香牧師の同性愛についての著書を読んだところだったので、とても印象的だった。それで原作のコミックを羊子に買ってきてもらって目を通した。漫画として特に優れているわけではないが、同性愛の問題を分かりやすく説明してくれる。そう言えば、友人の息子もゲイで、現在カナダでパートナーと暮らしていることを思い出した。(戒能信生)

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