2018年2月17日土曜日


牧師の日記から(149

211日(日)主日礼拝。出エジプト記20章から「十戒」の講解説教の2回目「刻んだ像を作ってはならない」。神ならぬものを自らの神としてしまう現代の偶像とは何かを考えさせられる。礼拝後、婦人会例会の聖書研究で「旧約聖書の女性たち」、野口洋子さんの発題でアブラハムの妻サラを取り上げる。アブラハムの生涯を妻サラの視点から読み直すと、また別の像が浮かんでくる。

12日(月)新幹線で京都へ。先日亡くなった友人の高野清弘さんの長岡京のお宅を弔問。残された書斎を見せて頂く。お連れ合いの片野真佐子さんも古くからの研究仲間で、柏木義円研究会を共に担っている。研究会の今後のことなどを相談する。午後4時から関西セミナーハウスの創立50年の祝会に顔を出す。それぞれの時代にハウスの実務を担った人々のスピーチを聞く。途中で失礼して帰京。帰宅したところに大塩清之助牧師が亡くなったとの連絡。このところ、村上伸先生、高倉田鶴子先生など、お世話になった先輩の牧師たちの訃報が続く。皆さんそれなりに高齢ではあるが、やはり世代の交代ということを考えさせられる。

13日(火)午前中、錦糸町の病院で二ヶ月に一度の定期検診。血液検査の結果はまあまあの数値。午後帰宅。夜はNCAプログラムの山口里子ゼミに参加。来年度の聖書講座の企画について相談する。フェミニズム神学者山口里子さんの聖書の読み方から教えられることしきり。帰宅後、疲れてすぐに寝てしまう。

14日(水)この日が今年の灰の水曜日で、受難節(レント)の季節に入る。午前中、聖書を学ぶ会でヨシュア記6章を取り上げる。高い城壁を誇ったエリコの陥落の箇所。万里の長城にしても、ベルリンの壁にしても、現在のパレスチナの壁にしても、この世の政治の世界では壁を建設して秩序を守ろうとする。しかし歴史の中でどんな壁も崩れざるを得ないのだろう。「キリストは私たちの平和、二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、双方をご自分において一人の新しい人に作り上げて平和を実現し、十字架によって敵意を滅ぼされた」(エペソ書214)という言葉を想い起こさせられる。

15日(木)午前中、キリスト教会館管理組合委員会。3月の予算総会の準備。震災に備えて水や食料などの備蓄計画を提案することになった。午後、NCAの事務所で3月の神学生交流プログラムの準備作業。今年は8つの神学校から13名の神学生が参加する。講師は元関西学院神学部の神田健次先生。校長は関田寛雄牧師。そのまま夜は東京バプテスト神学校の授業で井上良雄を取り上げる。

16日(金)午前中、郵便局に行って『時の徴』や柏木義円研究会の振替口座から引き出し、印刷費などの支払い。夕方、蔵前のカフェ・エクレシアに行き、李明洙司祭と東海林勤先生の聞き書きについて相談する。夜はそのまま「編集者にその本音を聞く」の3回目で、いのちのことば社の編集者根田祥一さんの話を聞く。参加人数は多くはなかったが、編集者や新聞記者たちと遅くまで話し込む。

       (戒能信生)

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