2018年2月25日日曜日


2018年3月4日 午前10時30分

受難節第3主日伝道礼拝(No47

      司式 石井 房恵 茂   

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-33

讃 美 歌  23 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編134・1~3 

讃 美 歌  205

聖書朗読  出エジプト記20・1-17



祈  祷

讃 美 歌  298

説  教  「安息日を覚えて聖とせよ 十戒④」 

  戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  363

使徒信条  (9341A

献  金  「九州教区奄美地区喜界教会の働き

を覚えて」      高岸 泰子        

報  告

頌  栄  85

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会

・定例長老会

2018年2月24日土曜日


牧師の日記から(150

218日(日)主日礼拝。伝道礼拝として平松良夫先生(元・浄風教会牧師)をお招きし、ルカ福音書1516から「見つけるまで」と題して説教していただく。いつも説教壇に立たされている者にとって、聴くことはまことに幸いなときでもある。礼拝後、平松牧師を囲んで石井房恵さんが作ってくださった炊き込みご飯とけんちん汁を頂きながら、懇談の時をもった。午後4時から、日本聖書神学校のチャペルで行われた大塩清之助先生の葬儀に直子さんと一緒に出席。私にとって恩人というべき人を天に送ることに、徐々に悲しみが深まる。

19日(月)午前中、月曜会で東駒形教会へ。赤江達也著『矢内原忠雄』(岩波新書)の後半について紹介と発題の担当。矢内原は昭和12年段階で東京大学を追われ、戦時下も一貫して戦時体制に批判的な姿勢を貫いたことはよく知られている。そして戦中は公職の立場になかったこともあって、戦後は東大に復帰し、総長まで務めたこともあって、言わば戦後のオピニオン・リーダーの立場になる。したがってその天皇制理解に残された課題が十分に検証されないままとなった。言わば矢内原版天皇機関説とも言えるその天皇制理解が、戦後の象徴天皇制と結びついて理解されてきたのではないだろうか。

20日(火)午前中、神学読書会で深井智朗『プロテスタンティズム』の後半を取り上げる。駒込教会の村田重牧師が丁寧な紹介をしてくれた。出席は牧師6名、信徒3名の計9名。次回から最近岩波新書で刊行された『アウグスティヌス』を取り上げることになった。

21日(水)午前中、聖書を学び祈る会。ヨシュア記78章のアイの攻防戦とアカンの罪の箇所を取り上げる。ヨシュア記に特有の「聖絶」の思想をどう理解すべきかが難問。略奪戦争ではなく、神に献げるべきものを自らの利得にしてしまうことが厳しく断罪されているのだが、それが「聖戦」と重なって理解された。

22日(木)午後から茗荷谷の東京バプテスト神学校での集中講義。今学期の日本キリスト教史のまとめの授業。いつもはIT回線を通して受講している受講生たちも、この日は集まって一緒に話し合った。講義が終わって、打ち上げの食事会で親しく懇談する。この神学校での講義は今年度が最後と考えていたが、さらに公開講座の形で続けてほしいと依頼され困惑する。他の神学校の授業も、そろそろ後進に道を譲らなければならないと考えているのだが。

23日(金)この日は在宅日で、一日書斎にこもって来週の教団社会委員会での講演の準備。天皇の生前退位と大嘗祭の問題について、資料を整理してその問題点を取り上げる。ところがPCに問題が生じ、作業は停滞する。こういうときPC頼みの仕事の仕方を反省することしきり。2018年度の「キリスト教史を読むⅡ」の講座の案内が出来てきた。顔写真を一部入れ替えなければならないが、Gメールも不調でうまくいかない。午後、N教会の招聘委員が来訪され、後任牧師の問題ついて相談を受ける。よき後任が与えられるように祈る。(戒能信生)

2018年2月18日日曜日


2018年2月25日 午前10時30分

受難節第2主日伝道礼拝(No46

      司式 石井 房恵   

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-33

讃 美 歌  20 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編133・1~3 

讃 美 歌  120

聖書朗読  出エジプト記20・1-17



祈  祷

讃 美 歌  297

説  教  「神の名をみだりに唱えてはならな

 い」      戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  566

使徒信条  (9341A

献  金             鈴木志津恵        

報  告

頌  栄  83

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森意索、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

・教会学校教師会

・週報等発送作業

・らふぁえる練習

16:00北支区社会部講演会(信濃町教会)

2018年2月17日土曜日


牧師の日記から(149

211日(日)主日礼拝。出エジプト記20章から「十戒」の講解説教の2回目「刻んだ像を作ってはならない」。神ならぬものを自らの神としてしまう現代の偶像とは何かを考えさせられる。礼拝後、婦人会例会の聖書研究で「旧約聖書の女性たち」、野口洋子さんの発題でアブラハムの妻サラを取り上げる。アブラハムの生涯を妻サラの視点から読み直すと、また別の像が浮かんでくる。

12日(月)新幹線で京都へ。先日亡くなった友人の高野清弘さんの長岡京のお宅を弔問。残された書斎を見せて頂く。お連れ合いの片野真佐子さんも古くからの研究仲間で、柏木義円研究会を共に担っている。研究会の今後のことなどを相談する。午後4時から関西セミナーハウスの創立50年の祝会に顔を出す。それぞれの時代にハウスの実務を担った人々のスピーチを聞く。途中で失礼して帰京。帰宅したところに大塩清之助牧師が亡くなったとの連絡。このところ、村上伸先生、高倉田鶴子先生など、お世話になった先輩の牧師たちの訃報が続く。皆さんそれなりに高齢ではあるが、やはり世代の交代ということを考えさせられる。

13日(火)午前中、錦糸町の病院で二ヶ月に一度の定期検診。血液検査の結果はまあまあの数値。午後帰宅。夜はNCAプログラムの山口里子ゼミに参加。来年度の聖書講座の企画について相談する。フェミニズム神学者山口里子さんの聖書の読み方から教えられることしきり。帰宅後、疲れてすぐに寝てしまう。

14日(水)この日が今年の灰の水曜日で、受難節(レント)の季節に入る。午前中、聖書を学ぶ会でヨシュア記6章を取り上げる。高い城壁を誇ったエリコの陥落の箇所。万里の長城にしても、ベルリンの壁にしても、現在のパレスチナの壁にしても、この世の政治の世界では壁を建設して秩序を守ろうとする。しかし歴史の中でどんな壁も崩れざるを得ないのだろう。「キリストは私たちの平和、二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、双方をご自分において一人の新しい人に作り上げて平和を実現し、十字架によって敵意を滅ぼされた」(エペソ書214)という言葉を想い起こさせられる。

15日(木)午前中、キリスト教会館管理組合委員会。3月の予算総会の準備。震災に備えて水や食料などの備蓄計画を提案することになった。午後、NCAの事務所で3月の神学生交流プログラムの準備作業。今年は8つの神学校から13名の神学生が参加する。講師は元関西学院神学部の神田健次先生。校長は関田寛雄牧師。そのまま夜は東京バプテスト神学校の授業で井上良雄を取り上げる。

16日(金)午前中、郵便局に行って『時の徴』や柏木義円研究会の振替口座から引き出し、印刷費などの支払い。夕方、蔵前のカフェ・エクレシアに行き、李明洙司祭と東海林勤先生の聞き書きについて相談する。夜はそのまま「編集者にその本音を聞く」の3回目で、いのちのことば社の編集者根田祥一さんの話を聞く。参加人数は多くはなかったが、編集者や新聞記者たちと遅くまで話し込む。

       (戒能信生)

2018年2月11日日曜日


2018年2月18日 午前10時30分

受難節第一主日伝道礼拝(No45

      司式 常盤 陽子   

    奏  黙 想        奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-33

讃 美 歌  20 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編132・1~6 

讃 美 歌  200

聖書朗読  詩篇23・1-6

ルカ福音書15・1-7 

祈  祷

讃 美 歌  493

説  教  「見つけるまで」

  平松 良夫牧師

祈  祷

讃 美 歌  451

使徒信条  (9341A

献  金             鈴木基三恵        

報  告

頌  栄  83

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・橋本悠久子、奏楽・戒能直子

・礼拝後、平松牧師を囲む会(軽食の用意あり)


2018年2月10日土曜日


牧師の日記から(148

24日(日)主日礼拝。出エジプト記20章から「十戒」の講解説教の一回目。人格的な拝一信仰から倫理が始まることを改めて考えさせられた。日本の教会は、明治以降この第一戒の問題を真剣に受け止めることを回避して来たのではないか。そしてこの第一戒が曖昧にされたところには、キリスト者の倫理も本質的な意味で成立しないのではないだろうか。戦時下の教会の在り様を直視するとき、今日もなおこれはこの国の教会の大きな課題であると考えさせられる。

5日(月)北陸地方は大雪とのこと。降雪に悩まされる過疎地の教会の大変さを思う。以前、東北教区総会に取材に行ったとき、「雪害対策費」という予算項目について議論が交わされていた。ある教会で、高齢の牧師が教会堂の屋根に降り積もった雪降ろしをしていて落下し大怪我をしたことがきっかけで、教区予算に雪害対策費が設けられたとのこと。降雪地帯の友人の牧師によれば、日曜日の朝、駐車場に積もった雪掻きが牧師の責任という。夜は王子教会での支区常任委員会に出席。3月の支区総会の準備。私はこの春で常任委員の任期が切れるので、もっと若い牧師に交代してもらうべく下工作をする。

6日(火)午前中、直子さんと羊子と一緒に上野の東京都美術館にブリューゲル展を見に行く。今回の展観は、ピーテル・ブリューゲルの大作はほとんどなく、その画業が息子や孫たち一族にどのように引き継がれていったのかが中心。16世紀から17世紀にかけて、オランダがスペインから独立し、アジアへの交易で隆盛を迎えた時期の絵画がどのように展開されたのかが伺えて興味深かった。それまでの絵画は、宗教画や貴族たちの肖像画など、パトロンたちの要望に応えるものだった。ところがブリューゲルは、変哲もない農村の風景や貧しい農民たちを描く。またごく小さな絵が多いことにも気づかされた。それは大きな絵を買う余裕がない人々が極小の絵を求めたことと関係するだろう。以前見た「バベルの塔」が実に細密に描かれているのに驚いたが、この細密画の技法が用いられているのだと得心した。一緒に食事して、羊子は職場へ、私たちは御徒町を散策し、直子さんに肩掛けカバンを買ってもらった。

7日(水)午前中、聖書を学ぶ会でヨシュア記35章を取り上げる。ヨルダン川を渡渉し、いよいよ約束の地に入る。そこで改めて割礼をしたというエピソードが出てくる。割礼はユダヤ民族であることの徴とされているが、創世記や出エジプト記の例では、異民族を受け入れる際の儀礼という意味合いがある。ヨシュア記の例も、先住の下層民たちを積極的に受け入れるためではなかったのか。

8日(木)午前中、姉の恵子が訪ねてくる。午後から西早稲田のキリスト教会館に行き、会館管理委員会の仕事やNCAの事務仕事。3月の神学生交流プログラムの準備。夜は東京バプテスト神学校の授業。この日は北森嘉蔵を取り上げる。

9日(金)夕方から浦安教会の招聘委員会の感謝会に招かれる。後任牧師の人事が順調に推移したからだが、必ずしもうまくいかない場合もある。(戒能信生)

2018年2月4日日曜日


2018年2月11日 午前10時30分

降誕節第7主日礼拝(No44

      司式 鈴木志津恵   

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-29

讃 美 歌  20 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編131・1~3 

讃 美 歌  136

聖書朗読  出エジプト記20・1-17 

祈  祷

讃 美 歌  472

説  教  「刻んだ像を拝してはならない

        十戒②」

  戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  532

使徒信条  (9341A

献  金             柴田 哲子        

報  告

頌  栄  83

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・石井房恵(教会員説教)、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

・婦人会例会 聖書研究 創世記1210-20 発題・野口洋子

2018年2月3日土曜日


牧師の日記から(147

128日(日)主日礼拝。出エジプト記1919の講解説教「鷲の背に乗せて」。この個所と申命記3111の二箇所だけに出てくるこの言葉は比喩的表現と考えられてきた。ところがごく最近、巣立ちを迎えた雛を、親鷲が巣を揺り動かして巣から落とし、落ちた雛を親鷲が背中に乗せて巣に戻すという生態が報告されたという。これを繰り返していくうちに、雛鷲は自分の羽で羽ばたくことを覚えるというのだ。シナイの荒れ野は「鷲の国」と呼ばれ、旧約の詩人たちは鷲の生態を詳細に観察してこの表現を用いたのだろう。その場合、親鷲が雛を背に乗せて巣に戻すのは、雛が自分の羽を羽ばたかせて飛べるようになること、つまり雛の自立が目的なのだ。出エジプト記のこの個所は、出エジプトの民がここから自立のための新しい出発をすることを指しているということになる。そして20章で「十戒」が語られる。来週から「十戒」の講解説教に取り組むことになる。礼拝後、お茶の会、週報等の発送作業、CS教師会、そしてフルート・アンサンブルらふぁえるの練習と続く。夜、2月の予定表を忘れていたので、その作成。

29日(月)午前中、月曜会に出席のため東駒形教会へ。赤江達也『内村鑑三』(岩波新書)を取り上げて、柏井創牧師が発題と紹介。午後帰宅して、『時の徴』発送のために、宛名ラベルやDM便のシールを封筒に貼る作業を直子さんにお願いする。購読者が約500通、寄贈分が約300通あり、結構な事務量ではある。振替用紙が切れていることに気がついて慌てる。取り寄せなければならない。

30日(火)午前中、NCAの次年度予算案の作成と、次期運営委員の推薦のためにあちこちに電話やメールで交渉。そこに『時の徴』1200部が納品される。午後から『時の徴』同人が集まって発送作業と編集委員会。

31日(水)聖書を学び祈る会で、この日からヨシュア記を取り上げる。ヨシュア記はカナンの先住民との戦闘の記事が繰り返される極めつきの好戦的な文書で、その解釈が厄介だ。しかしエリコの遊女ラハブがイスラエルの密偵を匿ったという伝承は、いわゆる「引きあげ説」の有力な根拠とされる。すなわち武力によってカナンの都市国家を征服したと言うよりも、都市国家の下層民と連携したと見ることもできる。午後は今日と明日の授業の準備と、『時の徴』の発送作業の後始末。印刷費の振り込みや購読者名簿の整理等。夜は日本聖書神学校の授業。先日の降雪で休講になった補講で、一年の学びのまとめをする。

21日(木)来週の長老会のアジェンダの作成。午後から西早稲田のキリスト教会館に行って事務仕事。戦時下の在日朝鮮人に対する弾圧について、宣教研究所所蔵の『特高月報』で確認する。そのまま夜は東京バプテスト神学校の授業。

2日(金)午前中、巣鴨ときわ教会での北支区連合祈祷会に出席。夜は信濃町の新生会館で行われたネラン神父追悼ミサに出席。ネラン神父は遠藤周作の『おばかさん』のモデルとされる人で、歌舞伎町にエポペというバーを開いていて、私も行ったことがある。NCAの運営委員を確定して本部に送る。(戒能信生)