2018年1月13日土曜日


牧師の日記から(144

17日(日)主日礼拝。申命記11812から「年の初めから年の終わりまで」と題して説教。荒れ野の40年にわたる放浪の旅を経て、モーセに導かれたイスラエルは約束の地を目前にしている。これから入っていく約束の地は、「エジプトの地とは異なり、自分の足で水をやる必要はない。山も谷もあり、天から降る雨で潤されている」と約束されている。すなわちエジプトのようにナイル川の水を灌漑し、足踏み水車で水を汲む必要はないというのだ。しかしそれは、約束の地が平坦な緑野ではなく、ただ雨水に頼る他にない貧しい土地だという意味でもある。「主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる」ことに信頼する以外にないということだ。それはそのまま、現在の私たちの行くべき道を指し示しているのではないだろうか。礼拝後、定例長老会。

8日(月)冷たい雨の休日。世間では成人の日の晴れ着が貸衣装業者の倒産で着られなくなったと騒いでいる。そんなものは着なくてもいいじゃないかとテレビの前で呟くと、楽しみにしている人もいるのよと直子さんに叱られる。直子さんの成人の日にはどうしたのかと聞くと、祖父母から贈られた振袖を着て写真だけ撮ったとのこと。私の育った家庭では晴れ着など着る習慣はなかった。単に経済的に余裕がなかったからだが、奇妙な習慣ではあると思った。

9日(火)年末からお正月にかけて、のんびりする日が多かった。特にどこにも出かけずひたすら本を読む毎日だったが、そろそろ仕事に手を付けなければならない。原稿や講演の仕事が山積みになっている。夜は北支区常任委員会。3月の支区総会に提案する牧師のサバティカル制度の大筋がまとまった。牧師の休暇や研修のための支援制度で、先ずは資金造成から始めることになりそうだ。

10日(水)午前中は聖書を学ぶ会で、申命記2627章を取り上げる。最古の信仰告白とされる266節は、「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました」から始まる。つまり自らの出自についての徹底した謙遜から始まり、それが主なる神によって「宝の民」とされたことへの感謝へと続く。午後、四ツ谷の喫茶店で二人の編集者と打ち合わせ。2月にNCAのプログラム「編集者に聞く」の三回目が予定されており、今回はいのちのことば社の根田祥一さんに、CJCの郡山千里さんが聞く形をとる。福音派の本音がどこまで聞けるのか、今から楽しみではある。

11日(木)午前中、書斎のストーブのための灯油を買いに行くと、18ℓで1,700円もする。今までで最も高いのではないか。これも円安誘導政策の結果なのだろうか。午後、NCAの事務所で打ち合わせ。夜は東京バプテスト神学校の授業。

12日(金)午前中、キリスト教会館の管理組合委員会。3月の予算総会の準備について話し合う。災害に備えて水や食料の備蓄の提案をすることになるが、トイレの凝固剤も必要とのこと。それが食料よりも高価なのだ。食料よりも排泄の問題が深刻だという事実を改めて突きつけられる。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿