2017年12月30日土曜日


牧師の日記から(142)「最近読んだ本の紹介」

福間良明『働く青年と教養の戦後史 「人生雑誌」と読者のゆくえ』(筑摩選書)1950年代から60年代にかけて、勤労青年を対象とした『葦』『人生手帳』『青春の手帳』といったいくつもの人生記録雑誌が刊行されていたという。中学を卒業しただけで集団就職しなければならなかった若者たちが主な読者で、知的な関心や真実な生き方を求める啓蒙雑誌だった。最盛期には、当時の総合雑誌『中央公論』や『世界』と比べて勝るとも劣らないほどの部数(12万部)が発行されていた。その発行や編集を担った人々に『ああ野麦峠』の著者として知られる山本茂實や東京大空襲を記録する会の早乙女勝元たちがいた。編集者たちもまた貧しさ故に高等教育を受けられたなかった人々だったのだ。これらの人生雑誌には、特に読者からの投稿が大きな比重を占めており、そこには貧しさ故に高校へ進学できなかった鬱屈や、厳しい労働環境の中でも知的な関心を失わず真実な生き方を求める若者たちの心情が綴られている。そして各地に読者たちによるサークル「葦会」「緑の会」が結成され、その全国大会も開かれたという。しかし一時隆盛を誇ったこれらの人生雑誌も、60年代以降の高度経済成長と高校進学率の急増に伴って次第に部数が減少し、70年代に入ると終焉を迎える。これらの人生雑誌には戦後のある時期の若者たちの心情が確実に反映されていたという。この人生雑誌が盛んに読まれていた当時、多くの若者たちが教会に群れ集まっていた。特に地方の教会の青年会活動とそれは確実に共通する部分がある。向学心に溢れ、読書熱に燃え、享楽的な誘惑に抗しながら、真実な生き方を求める若者たちの姿を思い出す。また人生雑誌を発行していた各出版社は、その後「健康雑誌」や実利的な成功のノウハウを謳った『BIG tomorrow』へと転身していく。そこに1980年以降の出版界の変遷を見ることもできるだろう。それは同時にこの国の若者像をめぐる変容でもある。そして教会に若者たちが集まらなくなっていく。戦後の大衆教養主義の没落を人生雑誌から分析した本書は、その意味で宣教論的な問いをも突きつけている。

高津孝『江戸の博物学 島津重豪と南西諸島の本草学』(平凡社ブックレット)1784年、北京の清朝御用達の薬種商同仁堂を、二人の琉球人が訪れ、大型の彩色植物図50図を差し出して鑑定を求めた。これは薩摩藩主・島津重豪が作成させた植物図絵で、中国の本草学との対比を問い合わせたものだった。鎖国政策で外国との往来が許されない中で、清国と交易のあった琉球国(薩摩藩が実効支配していた)を通して鑑定を求めたのだった。この出来事の紹介を導入として、江戸期島津藩の博物学に対する関心と収集の成果が紹介されている。島津重豪(斉彬の祖父、徳川将軍家斉の岳父)は長崎のオランダ商館に出入りし、シーボルトとも交流があったという。明治維新を担った薩摩藩の知られざる文化的背景を垣間見る思いで読まされた。(戒能信生)

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