2017年12月23日土曜日


牧師の日記から(141)「最近読んだ本の紹介」

平松達夫『消せなかった過去 まど・みちおと大東亜戦争』(朝日新聞社)まどみちおの『全詩集』が出た時、新たに発見された戦時下の戦争協力詩二篇が収録され、後書きで著者が自らの戦争責任を率直に吐露したことはよく知られている。すっかり忘れていたが、尊敬していた北原白秋の死に触発され、また応召直前の昂ぶりの中で「即興的に書いた」と、そこには記されていた。ところが、その後の綿密な研究によって、その戦争詩には元になった詩があり、それを推敲して白秋を追悼する『大東亜戦争少国民詩集』に寄稿したことが判明する。つまり「即興的に書いた」という説明は疑わしいというのだ。この本は、植民地台湾でのまどみちお=石田道雄の生活や文学活動を詳細に跡づけた論考で、執拗に詩人の内面にまで踏み込んで書かれており、複雑な読後感だった。ただ、まどみちおは台湾での青年期、ホーリネス教会で洗礼を受けている。しかし本書ではそのことには少しも触れられていない。そのあたりに不満が残った。

井上亮『天皇の戦争宝庫 知られざる皇居の靖国「御府」』(ちくま新書)皇居内に、明治・大正・昭和の三代にわたる各戦役での戦死者名簿や写真、そして膨大な戦利品などを収納する施設があり、それは現在も残っているという。日清戦争の際の戦利品を納めた「振天府」、義和団事件の「懐遠府」、日露戦争の「建安府」、第一次大戦・シベリア出兵の「惇明府」、そして上海事変から太平洋戦争の「顕忠府」の五つの施設で、「御府」と総称されている。靖国神社の遊就館も顔負けの国威発揚と戦没者の慰霊のための教育施設だったという。それが戦後は封印されて全く公開されていない。公開して、公の議論に付す必要があると思った。

福井憲彦『興亡の世界史 近代ヨーロッパの覇権』(講談社学術文庫)18世紀から20世紀にかけてのヨーロッパ諸国の興亡を概観した力作。既に知られている歴史的な事件の政治的、経済的、さらに思想的な背景を概括してくれる。国民国家の成立と共に、各国が富国強兵に走り、植民地獲得戦争を繰り返していった経緯が一望の下にさらされる。すると、改めて近代という時代への問いが浮上する。そして21世紀の現代がどのようなステージにあるかがあぶり出される。貧富の格差が拡大し、テロが頻発し、ポピュリズムが横行する現在の政治的な課題と、それは直結する。最近、この国の歴史を「戦前・戦後」という括りで捉えることの限界が指摘されている。来年は明治維新150年で、おそらくそういう時代区分による歴史観が一層強力に政府からも打ち出されるのだろう。しかしこの書物は、さらに大きな視野で近代そのものを問う視界を拡げてくれた。

フィリップ・グレーニング『大いなる沈黙へ』(DVD)羊子からのクリスマス・プレゼント。アルプスの山奥にある修道院の日常を淡々と映したドキュメント映画。個室に籠もって祈りに明け暮れる修道士たちの日常が、なんの脚色もなく延々と続く。沈黙、祈り、労働、読書、そして礼拝。以前函館のトラピスト修道院に招かれて一泊した時の経験を鮮烈に想い出した。(戒能信生)

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