2017年12月2日土曜日

牧師の日記から(138
1126日(日)教会学校の子どもたちと一緒に収穫感謝の合同礼拝。子どもの祝福で、「ぶどうとイチジクの木の下で安らかに暮らす」という列王記55のイメージについて話す。教会の庭の柿もイチジクの木も、何の手入れも世話もしないのに、毎年おいしい実が豊かに実る。ただ神の恵みに信頼して安らかに暮らす生活がイスラエルの人々にとって理想の生き方だったのだろう。礼拝説教では、出エジプト記の「海の奇跡」(14531)を取り上げる。礼拝後はCS教師会と週報等の発送作業。
27日(月)『時の徴』の次号は150号で、創刊40年に当たる。それでこれまでの総目次を掲載することになり、その校正作業。40年というのは、私自身の牧師としての歩みとほとんど重なっている。まだ30台だった頃の未熟な自分の文章を読み直して、よくここまで歩んで来れたと感慨を新たにする。夜は日本聖書神学校の授業。賀川豊彦についての学生たちのリーディング・レポートを聞く。
28日(火)午前中、緑陰書房の編集者南里知樹さんが訪ねてくる。もう何年も前から、満州開拓基督教村の資料集を編纂する約束になっており、全三巻で来年秋頃出版の予定という。そのための解説の原稿を夏頃までに書かねばならない。もう来年の仕事が次々に入ってきている。午後はひたすら『時の徴』の総目次の作業。夜は丹絵理加さんの受洗準備会でマルコ福音書を一緒に読む。
29日(水)午前中、聖書を学ぶ会。この日は申命記の911章の一部を拾い読みして、申命記の信仰を探る。午後、『時の徴』の「購読者の声」を編集しているところに、京都から電話があり、友人の高野清弘さんが今朝亡くなったという知らせ。甲南大学の政治学の教授で、若い頃からの勉強仲間。遺書に私に葬儀を頼むとあったそうで、やむなく引き受ける。明後日に告別式ということで、急に慌ただしくなり、『時の徴』の原稿類は来週に回してもらうことにする。野口倢司さんが作成してくれたクリスマス・カードに聖句を印刷し、宛名書きをする作業、定例長老会のアジェンダを作り、長老の皆さんにメールで送付。
30日(木)午後からNCAの事務所に行き、会館管理組合の仕事と封筒などの印刷作業。そのまま夜は茗荷谷の東京バプテスト神学校の授業で山室軍平について講義。帰宅後、明日の葬儀説教の準備と告別式のプログラム印刷。遺書にあったアウグスチヌスの言葉 “Vita est mors vivens” の定訳が分からず往生する。「人生は死を生きること」くらいに訳すのだろうか。
121日(金)朝9時前の新幹線で京都へ。京都駅で乗り換えて長岡京市の葬儀社で、高野清弘さんの告別式。その後三十三間堂近くの京都斎場で火葬。火葬や収骨の仕方が東京とは微妙に違うのが興味深い。その待ち時間にきつねうどんをご馳走になる。それが予想以上に美味しかったのに驚く。

2日(土)今週はタイトだったので、この日は少しのんびりする。一日在宅で、週報づくりと明日の説教の準備。いよいよアドベントの季節に入る。(戒能信生)

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