2017年12月31日日曜日


018年1月7日 午前10時30分

降誕節第2主日礼拝(No39

      司式 常盤 陽子   

    奏  黙 想        奏楽 

招  詞  93-1-24

讃 美 歌  6 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編126・1~6 

讃 美 歌  278

聖書朗読  申命記11・8-12

祈  祷

讃 美 歌  367

説  教  「年の初めから年の終わりまで」

  戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  368

使徒信条  (9341A

献  金  対外献金「北海教区新得教会牧師館建築のために」    鈴木志津恵        

報  告

頌  栄  90

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校(冬休み)

・礼拝後、お茶の会

・定例長老会

2017年12月30日土曜日


牧師の日記から(142)「最近読んだ本の紹介」

福間良明『働く青年と教養の戦後史 「人生雑誌」と読者のゆくえ』(筑摩選書)1950年代から60年代にかけて、勤労青年を対象とした『葦』『人生手帳』『青春の手帳』といったいくつもの人生記録雑誌が刊行されていたという。中学を卒業しただけで集団就職しなければならなかった若者たちが主な読者で、知的な関心や真実な生き方を求める啓蒙雑誌だった。最盛期には、当時の総合雑誌『中央公論』や『世界』と比べて勝るとも劣らないほどの部数(12万部)が発行されていた。その発行や編集を担った人々に『ああ野麦峠』の著者として知られる山本茂實や東京大空襲を記録する会の早乙女勝元たちがいた。編集者たちもまた貧しさ故に高等教育を受けられたなかった人々だったのだ。これらの人生雑誌には、特に読者からの投稿が大きな比重を占めており、そこには貧しさ故に高校へ進学できなかった鬱屈や、厳しい労働環境の中でも知的な関心を失わず真実な生き方を求める若者たちの心情が綴られている。そして各地に読者たちによるサークル「葦会」「緑の会」が結成され、その全国大会も開かれたという。しかし一時隆盛を誇ったこれらの人生雑誌も、60年代以降の高度経済成長と高校進学率の急増に伴って次第に部数が減少し、70年代に入ると終焉を迎える。これらの人生雑誌には戦後のある時期の若者たちの心情が確実に反映されていたという。この人生雑誌が盛んに読まれていた当時、多くの若者たちが教会に群れ集まっていた。特に地方の教会の青年会活動とそれは確実に共通する部分がある。向学心に溢れ、読書熱に燃え、享楽的な誘惑に抗しながら、真実な生き方を求める若者たちの姿を思い出す。また人生雑誌を発行していた各出版社は、その後「健康雑誌」や実利的な成功のノウハウを謳った『BIG tomorrow』へと転身していく。そこに1980年以降の出版界の変遷を見ることもできるだろう。それは同時にこの国の若者像をめぐる変容でもある。そして教会に若者たちが集まらなくなっていく。戦後の大衆教養主義の没落を人生雑誌から分析した本書は、その意味で宣教論的な問いをも突きつけている。

高津孝『江戸の博物学 島津重豪と南西諸島の本草学』(平凡社ブックレット)1784年、北京の清朝御用達の薬種商同仁堂を、二人の琉球人が訪れ、大型の彩色植物図50図を差し出して鑑定を求めた。これは薩摩藩主・島津重豪が作成させた植物図絵で、中国の本草学との対比を問い合わせたものだった。鎖国政策で外国との往来が許されない中で、清国と交易のあった琉球国(薩摩藩が実効支配していた)を通して鑑定を求めたのだった。この出来事の紹介を導入として、江戸期島津藩の博物学に対する関心と収集の成果が紹介されている。島津重豪(斉彬の祖父、徳川将軍家斉の岳父)は長崎のオランダ商館に出入りし、シーボルトとも交流があったという。明治維新を担った薩摩藩の知られざる文化的背景を垣間見る思いで読まされた。(戒能信生)

2017年12月24日日曜日


017年12月31日 午前10時30分

降誕節第一主日礼拝(No38

      司式 鈴木志津恵   

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-46

讃 美 歌  6 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編125・1~5 

讃 美 歌  251

聖書朗読  イザヤ書47・7-9

      ルカ福音書2・8-21

祈  祷

讃 美 歌  252

説  教  「思いめぐらすマリア」

  戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  262

使徒信条  (9341A

献  金             岡崎 大祐

報  告

頌  栄  92

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校(冬休み)

・礼拝後、お茶の会

・週報等発送作業

2017年12月23日土曜日


牧師の日記から(141)「最近読んだ本の紹介」

平松達夫『消せなかった過去 まど・みちおと大東亜戦争』(朝日新聞社)まどみちおの『全詩集』が出た時、新たに発見された戦時下の戦争協力詩二篇が収録され、後書きで著者が自らの戦争責任を率直に吐露したことはよく知られている。すっかり忘れていたが、尊敬していた北原白秋の死に触発され、また応召直前の昂ぶりの中で「即興的に書いた」と、そこには記されていた。ところが、その後の綿密な研究によって、その戦争詩には元になった詩があり、それを推敲して白秋を追悼する『大東亜戦争少国民詩集』に寄稿したことが判明する。つまり「即興的に書いた」という説明は疑わしいというのだ。この本は、植民地台湾でのまどみちお=石田道雄の生活や文学活動を詳細に跡づけた論考で、執拗に詩人の内面にまで踏み込んで書かれており、複雑な読後感だった。ただ、まどみちおは台湾での青年期、ホーリネス教会で洗礼を受けている。しかし本書ではそのことには少しも触れられていない。そのあたりに不満が残った。

井上亮『天皇の戦争宝庫 知られざる皇居の靖国「御府」』(ちくま新書)皇居内に、明治・大正・昭和の三代にわたる各戦役での戦死者名簿や写真、そして膨大な戦利品などを収納する施設があり、それは現在も残っているという。日清戦争の際の戦利品を納めた「振天府」、義和団事件の「懐遠府」、日露戦争の「建安府」、第一次大戦・シベリア出兵の「惇明府」、そして上海事変から太平洋戦争の「顕忠府」の五つの施設で、「御府」と総称されている。靖国神社の遊就館も顔負けの国威発揚と戦没者の慰霊のための教育施設だったという。それが戦後は封印されて全く公開されていない。公開して、公の議論に付す必要があると思った。

福井憲彦『興亡の世界史 近代ヨーロッパの覇権』(講談社学術文庫)18世紀から20世紀にかけてのヨーロッパ諸国の興亡を概観した力作。既に知られている歴史的な事件の政治的、経済的、さらに思想的な背景を概括してくれる。国民国家の成立と共に、各国が富国強兵に走り、植民地獲得戦争を繰り返していった経緯が一望の下にさらされる。すると、改めて近代という時代への問いが浮上する。そして21世紀の現代がどのようなステージにあるかがあぶり出される。貧富の格差が拡大し、テロが頻発し、ポピュリズムが横行する現在の政治的な課題と、それは直結する。最近、この国の歴史を「戦前・戦後」という括りで捉えることの限界が指摘されている。来年は明治維新150年で、おそらくそういう時代区分による歴史観が一層強力に政府からも打ち出されるのだろう。しかしこの書物は、さらに大きな視野で近代そのものを問う視界を拡げてくれた。

フィリップ・グレーニング『大いなる沈黙へ』(DVD)羊子からのクリスマス・プレゼント。アルプスの山奥にある修道院の日常を淡々と映したドキュメント映画。個室に籠もって祈りに明け暮れる修道士たちの日常が、なんの脚色もなく延々と続く。沈黙、祈り、労働、読書、そして礼拝。以前函館のトラピスト修道院に招かれて一泊した時の経験を鮮烈に想い出した。(戒能信生)

2017年12月18日月曜日


017年12月24日 午前10時30分

クリスマス主日合同礼拝(No37

      司式 荒井久美子   

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-46

讃 美 歌  242 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編124・1~8 

讃 美 歌  269

子どもの祝福            戒能牧師

聖書朗読  イザヤ書11・1-10

      ルカ福音書2・1-7

祈  祷

讃 美 歌  256(1-3節)

説  教  「宿る場所のない人々に」

  戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  256(4-6節)

使徒信条  (9341A

聖 餐 式  配餐・常盤陽子、鈴木志津恵

讃 美 歌    81

献  金             岡崎 大祐

報  告

頌  栄  92

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校(合同礼拝に合流)

・礼拝後、教会学校ページェント(エプロン・シアター)、写真撮影

・祝会(於・ホール)会食、お話し(茨木啓子)、クイズ大会(松野俊一名誉牧師)。サンタクロース登場(2:00頃終了予定)

・燭火讃美礼拝(17:0018:00)司式・常盤陽子さ、聖書朗読・鈴木基三恵、奏楽・梅本順子

・野口倢司さんのシチューを囲んで

2017年12月16日土曜日


牧師の日記から(140)「最近読んだ本の紹介」

谷川俊太郎・尾崎真理子『詩人なんて呼ばれて』(新潮社)今や「国民的詩人」と呼ばれる谷川俊太郎の生涯の歩みを詳細にインタビューしたもの。それに谷川の代表的な詩20篇が挟まれ、さらに編集者の解説を加えて構成されている。これ一冊で、谷川俊太郎のすべてが分かるという仕掛け。尾崎真理子さんは、先頃紹介した『大江健三郎 作家自身を語る』の聞き書きをした編集者で、谷川のプライベートな生活にまで踏み込んで徹底して聞いている。谷川徹三の独り息子として育ったこと、大学に行かなかった理由、そして岸田襟子、佐野洋子の二人の妻との結婚生活の実際と破綻に到るまで、よくもまあここまでと驚くほど。しかしそこまで実生活をさらけ出しても、谷川俊太郎の詩は依然として輝いている。

山田昌弘『悩める日本人 『人生案内』に見る現代社会の姿』(ディスカヴァー携書)家族社会学が専門のこの研究者については、20年ほど前博報堂のプランナーから聞かされていた。広告宣伝の世界の人は耳が早いというか、若い研究者の動向まで追っているのかと感心したものだった。その後著者は『パラサイト・シングル』や『希望格差社会』などの造語で知られるようになったが、現代社会の実相を家族の生態の変遷から読み解くその視点から教えられて来た。現在『読売新聞』の人生相談欄「人生案内」を担当しており、そこから見えてくる現代社会の実情を柔らかく報告している。同性愛などの性の多様化の問題、今や中高年になりつつあるパラサイト・シングルの実態、夢を抱けなくなっている若者たちの心情までが、「人生案内」欄から透けて見えてくる。大正期に、新渡戸稲造が婦人雑誌の「人生相談」の欄を長く担当していたことを想い出した。このような社会のリアルな現実に触れないで、福音宣教はできないのではないだろうか。

清水真砂子『「ゲド戦記」の世界』(岩波ブックレット)ル・グウィンの『ゲド戦記』の翻訳者の講演録で、10年ほど前に発行されたもの。羊子に薦められて読んだ。『ゲド戦記』は子どもたちと繰り返し読んできたが、その細部への訳者の細やかな視線に感銘を受けた。いつか時間的余裕のある時、もう一度『ゲド戦記』をゆっくり心を込めて読み直したいと思った。

ガブリエル・セヴィン『書店主フィクリーのものがたり』(早川書房)島に一軒しかない書店に、ある日赤ん坊が置き去りにされていた。偏屈な書店主はその女の子を引き取って育て始める。現代アメリカのファンタジーとも言える小説で、旅行中新幹線の中で気楽に読んだ。

磯田道史『日本史の内幕 戦国女性の素顔から幕末近代の謎まで』(中公新書)『武士の家計簿』が映画化されてからテレビなどでもすっかりお馴染みになった著者の古文書解読にまつわるエッセー集。ただ古文書が読めるというだけではなく、それを現代の様々な問題と結びつけるセンスがこの著者の真骨頂のようだ。私自身もキリスト教会の断片的な資料から教会の課題を読み解くことを目指しているので、共感しながら読まされた。(戒能信生)

2017年12月10日日曜日


017年12月17日 午前10時30分

待降節第3主日礼拝(No36

      司式 荒井  眞   

    奏  黙 想        奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-46

讃 美 歌  242(1、2、3節のみ) 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編123・1~4 

讃 美 歌  127

聖書朗読  イザヤ書9・1-6

      ルカ福音書1・39-56

祈  祷

讃 美 歌  178

説  教  「マリアの賛歌」

  戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  175

使徒信条  (9341A

献  金             戒能 直子

報  告

頌  栄  92

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・橋本悠久子、奏楽・向山康子

・礼拝後、お茶の会

・クリスマス・カードにご署名ください(印刷室に用意してあります)。


2017年12月9日土曜日


牧師の日記から(139

123日(日)待降節第一主日礼拝。今年のアドベントはルカ福音書のクリスマス物語を学ぶことにし、この日は1525の講解説教。ルカのクリスマス物語は、エリサベツとゼカリアの老夫婦に子どもが産まれるという天使の告知から始まり、222以下ではシメオンと女預言者アンナという二人の老人が幼な子を祝福する記事で締め括られている。通常のページェントには登場しない老人たちに囲まれてルカのクリスマス物語は構成されていることになる。そして彼ら彼女たちこそが「主の眼に留められた人々」とされているのだ。礼拝後、アドベント全体祈祷会で祈りを合わせる。定例長老会ではクリスマス諸集会の準備を話し合った。夜は羊子の誕生日ということで、家族が集まって一緒に食事。嘉信がPCのルーターを取り換えてくれて、メール通信が安定した。謙にはNCAの集会案内を作成してもらう。IT環境の整備ついては息子たちの応援がありがたい。

4日(月)『時の徴』の次号に掲載する総目次の作成と購読者からの寄稿を編集してメールで送稿。午後、信濃町の慶応病院に妹の真理を見舞う。明日髄膜腫の摘出手術を受けるのだ。左内耳に近いところ出来た直径2センチの良性腫瘍だが、様々な神経が通っており、手術時間がなんと10時間かかるという。聖書を読んで、明日の手術のために祈る。帰宅して準備し、夜は日本聖書神学校の授業。

5日(火)『時の徴』の井上良雄先生の小説教の文字起こしの作業。午後、慶応病院に。ひたすら手術が終わるのを待っている真理の娘・菜穂子と夫・金斗鉉さんを、直子さんの煎れてくれたコーヒーを持って陣中見舞い。彼は画家で、長く『信徒の友』の表紙を描いていた。来年、聖書に題材をとったまんが絵本シリーズを出版するそうで、ネームを見せてもらった。第一回はノアの箱舟の物語で、楽しく面白い。箱舟にトイレがあるのが秀逸。夕方帰宅して仕事をしているところに連絡があり、手術は無事に終了したとのことでホッとする。

6日(水)午前中、聖書を学ぶ会で申命記の聖書研究。午後は在宅で、『時の徴』の原稿と編集作業、明日のNCA運営委員会の記録とアジェンダ作り。

7日(木)午前中、郵便局に寄り、対外献金とクリスマス献金を送る。その足でNCA事務所へ。印刷や発送作業。午後から運営委員会で来年度の企画についても協議する。夜は東京バプテスト神学校の授業。

8日(金)朝9時前の新幹線で軽井沢へ。興望館沓掛学荘の職員礼拝で奨励。午後は佐久平の老人施設に入所している保志治子さんを見舞うつもりが、この日は病院に行く日で都合が悪いとのこと。思い立って長野まで足を延ばし、友人の今井敬隆牧師を訪ねる。長く牧会した東美教会を昨年隠退し、故郷で暮らしているのだ。牧師の隠退後の日々について聞き、周囲の邪魔にならないようにしているとのことで、つくづく考えさせられた。雪のちらつく中を、夕方帰宅。

9日(土)明日の礼拝や週報、長老会報告などの作成と印刷。午後、直子さんと一緒に慶応病院に真理を見舞う。経過は順調のようだ。(戒能信生)

2017年12月3日日曜日


017年12月10日 午前10時30分

待降節第2主日礼拝(No35

      司式 石井 房恵   

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-46

讃 美 歌  242(1、2節のみ) 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編122・1~9 

讃 美 歌  235

聖書朗読  イザヤ書7・13-17

      ルカ福音書1・26-38

祈  祷

讃 美 歌  275

説  教  「Let it be  お言葉どおり

この身になりますように」

  戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  504

使徒信条  (9341A

献  金             大森 意索

報  告

頌  栄  92

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・野口洋子、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

・婦人会例会(於・ホール)「旧約聖書の女性たち」戒能牧師

・クリスマス・カードにご署名ください。

2017年12月2日土曜日

牧師の日記から(138
1126日(日)教会学校の子どもたちと一緒に収穫感謝の合同礼拝。子どもの祝福で、「ぶどうとイチジクの木の下で安らかに暮らす」という列王記55のイメージについて話す。教会の庭の柿もイチジクの木も、何の手入れも世話もしないのに、毎年おいしい実が豊かに実る。ただ神の恵みに信頼して安らかに暮らす生活がイスラエルの人々にとって理想の生き方だったのだろう。礼拝説教では、出エジプト記の「海の奇跡」(14531)を取り上げる。礼拝後はCS教師会と週報等の発送作業。
27日(月)『時の徴』の次号は150号で、創刊40年に当たる。それでこれまでの総目次を掲載することになり、その校正作業。40年というのは、私自身の牧師としての歩みとほとんど重なっている。まだ30台だった頃の未熟な自分の文章を読み直して、よくここまで歩んで来れたと感慨を新たにする。夜は日本聖書神学校の授業。賀川豊彦についての学生たちのリーディング・レポートを聞く。
28日(火)午前中、緑陰書房の編集者南里知樹さんが訪ねてくる。もう何年も前から、満州開拓基督教村の資料集を編纂する約束になっており、全三巻で来年秋頃出版の予定という。そのための解説の原稿を夏頃までに書かねばならない。もう来年の仕事が次々に入ってきている。午後はひたすら『時の徴』の総目次の作業。夜は丹絵理加さんの受洗準備会でマルコ福音書を一緒に読む。
29日(水)午前中、聖書を学ぶ会。この日は申命記の911章の一部を拾い読みして、申命記の信仰を探る。午後、『時の徴』の「購読者の声」を編集しているところに、京都から電話があり、友人の高野清弘さんが今朝亡くなったという知らせ。甲南大学の政治学の教授で、若い頃からの勉強仲間。遺書に私に葬儀を頼むとあったそうで、やむなく引き受ける。明後日に告別式ということで、急に慌ただしくなり、『時の徴』の原稿類は来週に回してもらうことにする。野口倢司さんが作成してくれたクリスマス・カードに聖句を印刷し、宛名書きをする作業、定例長老会のアジェンダを作り、長老の皆さんにメールで送付。
30日(木)午後からNCAの事務所に行き、会館管理組合の仕事と封筒などの印刷作業。そのまま夜は茗荷谷の東京バプテスト神学校の授業で山室軍平について講義。帰宅後、明日の葬儀説教の準備と告別式のプログラム印刷。遺書にあったアウグスチヌスの言葉 “Vita est mors vivens” の定訳が分からず往生する。「人生は死を生きること」くらいに訳すのだろうか。
121日(金)朝9時前の新幹線で京都へ。京都駅で乗り換えて長岡京市の葬儀社で、高野清弘さんの告別式。その後三十三間堂近くの京都斎場で火葬。火葬や収骨の仕方が東京とは微妙に違うのが興味深い。その待ち時間にきつねうどんをご馳走になる。それが予想以上に美味しかったのに驚く。

2日(土)今週はタイトだったので、この日は少しのんびりする。一日在宅で、週報づくりと明日の説教の準備。いよいよアドベントの季節に入る。(戒能信生)