2017年10月7日土曜日


牧師の日記から(130

 101日(日)主日礼拝、聖餐式。マタイ福音書61618の講解説教「宗教的な熱心さ?」。当時の信仰熱心な人々は、断食中に食べ物を勧められないように「顔を見苦しくする」断食顔をしたという。イエスはそれを批判し、むしろ「頭に油をつけ、顔を洗え」と、言わば祝祭の用意をするように命じる。それで思い出したのが、宗教改革者マルティン・ルターのエピソード。ある時ルターが不機嫌な顔をしていた。すると妻のカタリーナが喪服を着て現れた。ルターが驚いて「だれか亡くなったのか」と聞くと、「あなたが神は死んだかのような不機嫌な顔をしているから」と答えた。ルターは笑って謝ったという。戦争の噂が聞こえ、政治的な混迷が深まる今、宗教的な熱心さを追い求めるのではなく、むしろ自分自身の不信仰に耐えて、不機嫌な顔をやめようということではないか。

2日(月)3か月に一度の眼科の検診。四ツ谷駅前の白戸眼科(緑内障の専門病院)は、患者さんで満杯。中にはかなり深刻な病状の人もいるようだ。私の緑内障の進行は一応抑えられており、まだ手術はギリギリ必要ないとのことで、点眼を続けて様子を見ようということになった。夜は日本聖書神学校の授業。

3日(火)一日中、書斎でパソコンの前に座っているが、なかなか原稿の仕事が進まない。夜は丹絵理加さんの受洗準備会でマルコ福音書を一緒に読む。

4日(水)午前中は聖書を学び祈る会。民数記1213章を取り上げて学ぶ。いよいよカナンの地に斥候を派遣して様子を探る箇所。乳と蜜の流れる約束の地には、高い城壁があり、巨人族が住んでいて、とてもかないそうにないという悲観的な報告。その証拠に巨大な葡萄を担いできて見せたという。そう言えば、最初に「巨峰」を食べたとき、「葡萄のお化け」と説明されたことを思い出す。野生の野葡萄しか知らない人々にとって、品種改良をして人工栽培された葡萄はそれこそお化けのような大きさに見えたのかもしれない。11月の末に柏木義円公開講演会が予定されているので、その準備。この間の会計報告を作成し、集会案内と一緒に会員に発送する作業。この研究会の事務局を担当しているのだ。

5日(木)朝からキリスト教会館に行って、NCAの仕事。改装工事が始まった6階の鍵をまとめて東京YMCAの山添主事に渡す。後は、第8回神学生交流プログラムの報告書が出来てきたので、参加神学生や賛助者たち合わせて150通ほどを発送する作業。NHKから先日の「宗教の時間」の録音が送られてくる。

6日(金)午後、馬喰横山の画廊で開かれている友人のカメラマン小山貴和夫さんの写真展に出かける。若い頃から撮りためた報道写真の数々を、同世代の自分の歩みを思い出しながら感慨深く観た。その後、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅近くの東京バプテスト神学校へ。10月から後期の授業が始まり、その準備の教師会に出席するため。その後、雨の中を王子北教会での北支区連合祈祷会に出席。

7日(土)午後から、教師を免職された北村滋郎牧師支援の集会に参加。夕方帰宅して、明日の週報の作成と印刷。そして説教の準備。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿