2017年7月8日土曜日

牧師の日記から(117
 72日(日)主日礼拝。マタイ福音書51720の講解説教。この福音書は、イエスを律法の廃棄ではなく完成者として理解する。1世紀後半のこの福音書の背景にある教会のファリサイ派への対峙の姿勢を反映しているのだろう。しかし、律法主義の些末主義の批判に止まらず、むしろ律法を徹底する仕方で、だれもそれを実行すること出来ないという事実を突きつける。つまり私たちには自分は大丈夫だ、安心だという自分の側の納得や了解を打ち砕いて、唯の罪人として神の前に立たされるのだ。夕方、直子さんと羊子と一緒に都議会議員選挙に行く。地方選挙ではあるが、現在の政権に対する批判や反撥がその結果に現れるようだ。
3日(月)午後から日本聖書神学校でのボイス・トレーニングに参加。講師の友野富美子さんは声優としてのキャリアのある人で、礼拝において言葉を届けることの大切さを改めて教えられる。そのまま夜の授業。この日は、新渡戸稲造について学生たちのリーディング・レポートがあり、とても優れた報告があった。
 4日(火)台風が近づいているとかで、蒸し暑い一日。夕方から雨が降り出した。このところ少しオーバーワーク気味なので、この日は一日のんびりする。赤江達也さんの『矢内原忠雄』(岩波新書)を読み始める。若い研究者の矢内原理解に教えられる。夜は丹絵理加さんの受洗準備会で、マルコ福音書を一緒に読む。
 5日(水)午前中、聖書を学ぶ会でレビ記910章を取り上げる。祭司アロンの任職と最初の祭儀の箇所で難解この上ない。午後は明日の沓掛学荘の職員礼拝の準備。7月末の集中講義「日本宗教史」で学生と一緒に訪ねる予定の崇教真光の広報部から、本郷の文京大修験道場を紹介する連絡があった。「手かざし」でよく知られる比較的新しい新宗教の現在がどうなっているのか興味津々である。
 6日(木)朝早く東京駅から新幹線で軽井沢へ。9時半から職員礼拝で奨励。午後、久しぶりに追分の保志治子さんを訪ねる。お元気そうで、声にも張りがあるが、坐骨神経痛の痛みと、なにか動作をする度に荒い息をするのが気になる。来週病院に行くというので、肺機能の低下について医師に相談するようにアドバイスする。軽井沢の空気は、さすがにさわやかで一息つく想い。夕方帰京。
 7日(金)朝からキリスト教会館に出向き、管理組合の仕事とNCA運営委員会。夜は、蔵前の聖公会聖ヨハネ教会のカフェ・エクレシアを会場に、「編集者がその本音を語る」の第1回。教団出版局の編集者であった詩人の柴崎聰さんに、私が質問者になってインタビューする。20人しか入れないので、それ以上参加者があったらどうしようかと内心案じていたのだが、熱暑もあってちょうど20人の参加。編集者として、キリスト者として、そして詩人としての柴崎さんの歩みを様々な角度から聞くことができたように思う。なお、このインタビューの記録は、キリスト新聞の季刊誌『ミニストリー』に掲載される予定。

 8日(土)一日書斎に閉じ籠って説教の準備や、校正作業など。蒸し暑さに溜まらず冷房をつける。午後、会堂清掃で須賀さんたちが来られる。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿