2017年7月30日日曜日

2017年8月6日 午前10時30分
聖霊降臨節第10主日合同礼拝(No17
     司式 橋本  茂
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  93-1-
讃 美 歌  20 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編119・49~56(ヘト)
子どもの祝福
讃 美 歌  372
聖書朗読  ホセア書6・1-6
      マタイ福音書5・38-42
祈  祷
讃 美 歌  414
説  教  「復讐してはならない」
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  418
使徒信条  (9341A
聖 餐 式  配餐 荒井 眞、荒井久美子
讃 美 歌  78
献  金  対外献金「山谷兄弟の家の働きを覚えて」      柴田 哲子
報  告
頌  栄  90
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校(夏休み)
・礼拝後、お茶の会

・定例長老会

2017年7月23日日曜日

2017年7月30日 午前10時30分
聖霊降臨節第9主日礼拝(No16
     司式 鈴木志津恵
    奏  黙 想       奏楽 向山 康子
招  詞  93-1-1
讃 美 歌  19 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編119・41~48(ワウ)
讃 美 歌  157
聖書朗読  出エジプト記3・13-15
祈  祷
讃 美 歌  541
説  教  「我は有りて在るもの」
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  465
使徒信条  (9341A
献  金            戒能 直子
報  告
頌  栄  92
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校(夏休み)
・礼拝後、お茶の会
・週報発送作業

・CS教師会

2017年7月22日土曜日

牧師の日記から(119)「最近読んだ本の紹介」
 ジェラード・ラッセル『失われた宗教を生きる人々 中東の秘境を求めて』(亜紀書房)「父の日」のプレゼントに長男の嘉信が送って来た。奇妙な書物を見つけると、自分では読まないくせに父親には読ませようという気になるらしく、時々こういうことがある。イギリスの外交官で中東の専門家である著者が、現在のアラブ社会に生きる宗教的マイノリティーたちの現在を追ったドキュメント。マンダ教、ヤズィード教、ゾロアスター教、ドゥールズ派、サマリア人、コプト教、カラーシャ教の教徒たちの現在を紹介している。歴史の中に消滅したと思われていたこれらの教徒たちが現在でも生き延びて、その宗教的伝統と民族的自覚を今なお保持し続けていることに驚く。例えば、サマリア人は紀元前7世紀アッシリア帝国によって滅ぼされた北王国イスラエルの末裔で、福音書に「良きサマリア人」として登場する。そのサマリア人たちが、現在も残存しているというのだ。但しこれらの教徒たちは、この間のイラク戦争やISの勃興等で、居住する地を追われ、多くが難民となってEUやアメリカに逃れて来ているという。
ジェイムズ・ウィンブラント『歯痛の文化史 古代エジプトからハリウッドまで』(朝日新聞社)これも娘の羊子からのプレゼント。歯痛や歯周病のメカニズムが医学的に解明される以前の社会では、虫歯には悪魔が宿っているとされ、呪術的治療がまかり通っていたという。その迷妄の歴史を、古代エジプトから現在まで資料によって辿る。「歯痛は人を哲学的にさせる」と言ったのはキルケゴールだったと思うが、読んでいてなんだか鬱的気分になった。そう言えば、旧約聖書には虫歯についての記述はほとんどない。唯一の例外が箴言2519で「悪い歯、よろめく足、苦難の襲うとき、欺く者を頼りにすること」という一文があるだけ。但しこれは、老齢になって足腰が弱り、歯が抜け落ちるという状態を表現したものだろう。つまり古代や中世では、砂糖を口にするのはごく一部の富裕層に限られていたので、一般庶民には虫歯はほとんど見られなかったらしい。福音書においてもイエスの奇跡の癒しの中に、虫歯や歯痛は含まれていない。この国では、内村鑑三が歯痛の苦しみを歯科医に癒され、感謝する書「Dentistry is a work of Love」が軽井沢の星野温泉に残っているという。

松本宣郎『ガリラヤからローマへ 地中海世界をかえたキリスト教』(講談社学術文庫)著書の名前は聞いていたが、著書を読むのは初めて。24世紀の地中海世界でキリスト教がどのような位置にあったかを概観してくれる。新約聖書後の時代なので、直接的な資料はなく、ローマ社会の反キリスト教文書と、それに対抗して書かれた教父たちの弁明等を読み解きながら、帝国内にキリスト教がどのように受け容れられて行ったかを追っている。最近の研究成果にも目を配り、初めて知ることも多かったが、しかしどうも面白くない。結論が常識的で当たり障りのないところを押さえているという印象を否めない。キリスト教思想と地中海世界の価値観の衝突をさらに突っ込んで書き込んで欲しかった。(戒能信生)

2017年7月16日日曜日

2017年7月23日 午前10時30分
聖霊降臨節第8主日礼拝(No16
     司式 石井 房恵
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  93-1-1
讃 美 歌  19 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編119・33~40(へー)
讃 美 歌  141
聖書朗読  エレミヤ書7・1-11
マタイ福音書5・33-37
祈  祷
讃 美 歌  402
説  教  「偽り誓うな」
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  469
使徒信条  (9341A
献  金             大森意索
報  告
頌  栄  92
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校礼拝 お話し・大森意索、奏楽・戒能直子
・礼拝後、お茶の会
・らふぁえる練習(1:304:30


2017年7月15日土曜日

牧師の日記から(118
 79日(日)主日礼拝。マタイ福音書52126の講解説教「兄弟への和解の勧め」。律法の条項を取り上げて対立命題として展開される独特の箇所。「殺すな」という戒律と「兄弟に腹を立てること」を等値して、そこに本質的な差異はないと主イエスは指摘する。先週、都議選での自民党の敗北のニュースに埋もれてあまり話題にならなかったが、東京湾の中央防波堤内埋立地の帰属をめぐり、東京オリンピックを控えて、江東区と大田区が都に裁定を委ねるというニュースがあった。東京中のゴミ収集車が自分の区を通ってこの土地が埋め立てられた経緯を江東区は主張し、海苔養殖などの漁業権を放棄した見返りを大田区が主張するこの紛争は、なんと50年に及ぶ当事者同士の協議ではついに決着がつかなかったのだ。この区境争いの特徴は、自民党から共産党まで、それぞれの区議会の主張が一致していること。つまり、区境争いはイデーロギーをも越えるという典型。そして、この紛争に関係のない人々は、全く関心を寄せないということも特徴の一つ。北方領土や竹島、尖閣諸島等の国境紛争を思い出した。これが人間の現実なのだ。礼拝後、婦人会例会でルカ福音書23638の「女預言者アンナ」を萩原好子さんの発題で取り上げる。この日の夜は直子さんの誕生日ということで、家族が集まって一緒に食事をする。久しぶりに長男の嘉信も顔を出した。
 10日(月)午前中、眼科の定期検診。緑内障の方は点眼で眼圧を下げて様子を見ることが続いているが、白内障も始まっているという。年を取るということはこういうことか。夜は日本聖書神学校の授業で、柏木義円を取り上げる。
 11日(火)早朝に起き出して、『キリスト教講話集』Ⅳの再校をチェックして出版社にメールで送稿。午前中は錦糸町の賛育会病院で定期検診。可もなく不可もないという状態は感謝すべきだろう。午後、早稲田奉仕園で木曜日の講座のビデオの準備。そのまま夜は山口里子さんのゼミに参加。「からし種の譬」(マルコ43032)は、詩編の「レバノン杉に鳥が巣をかける」(10416)の言い換えではないかという解釈を提案され、考えさせられた。神の国についてのイメージを、レバノン杉の大木から、からし種の灌木へと転換しているというのだ。
 12日(水)午前中は聖書を学ぶ会でレビ記1115章を取り上げる。いわゆる清浄と穢れに関する規定の部分だが、これが食物規定としてその後の時代に大きな影響を与える。しかし、ヴェーバーが指摘するように、捕囚期の圧倒的なバビロニアの先進文明に儀礼的遮断によって抵抗した事実も考えねばならない。
 13日(木)午前中、キリスト教会館1階のNCA事務所の改装工事のために、不要な物品を運び出す作業。午後は連続講座「日本キリスト教史を読む」の2回目。この暑さの中30名近い参加者があり、部屋が狭くて往生する。

 14日(金)午前中は会館管理組合委員会。一旦帰宅して、夕刻から富坂キリスト教センターの内面史研究会。「戦前の在外邦人教会の実態」というテーマの研究発表。資料の読み込みが足りず、まとめるのが大変ではある。(戒能信生)

2017年7月9日日曜日

2017年7月16日 午前10時30分
聖霊降臨節第7主日礼拝(No15
     司式 常盤 陽子
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  93-1-1
讃 美 歌  19 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編119・25~32(ダレト)
讃 美 歌  101
聖書朗読  出エジプト記20・14
マタイ福音書5・27-32
祈  祷
讃 美 歌  102
説  教  「秘儀としての結婚?!」
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  483
使徒信条  (9341A
献  金            岡崎 大祐
報  告
頌  栄  92
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校礼拝 お話し・向山功、奏楽・内山央絵
・礼拝後、お茶の会
・オリーブの会は中止(柴田哲子さんの海外出張のため9月に延期)

・北支区教会学校夏期一泊キャンプ(2:301712:00,

2017年7月8日土曜日

牧師の日記から(117
 72日(日)主日礼拝。マタイ福音書51720の講解説教。この福音書は、イエスを律法の廃棄ではなく完成者として理解する。1世紀後半のこの福音書の背景にある教会のファリサイ派への対峙の姿勢を反映しているのだろう。しかし、律法主義の些末主義の批判に止まらず、むしろ律法を徹底する仕方で、だれもそれを実行すること出来ないという事実を突きつける。つまり私たちには自分は大丈夫だ、安心だという自分の側の納得や了解を打ち砕いて、唯の罪人として神の前に立たされるのだ。夕方、直子さんと羊子と一緒に都議会議員選挙に行く。地方選挙ではあるが、現在の政権に対する批判や反撥がその結果に現れるようだ。
3日(月)午後から日本聖書神学校でのボイス・トレーニングに参加。講師の友野富美子さんは声優としてのキャリアのある人で、礼拝において言葉を届けることの大切さを改めて教えられる。そのまま夜の授業。この日は、新渡戸稲造について学生たちのリーディング・レポートがあり、とても優れた報告があった。
 4日(火)台風が近づいているとかで、蒸し暑い一日。夕方から雨が降り出した。このところ少しオーバーワーク気味なので、この日は一日のんびりする。赤江達也さんの『矢内原忠雄』(岩波新書)を読み始める。若い研究者の矢内原理解に教えられる。夜は丹絵理加さんの受洗準備会で、マルコ福音書を一緒に読む。
 5日(水)午前中、聖書を学ぶ会でレビ記910章を取り上げる。祭司アロンの任職と最初の祭儀の箇所で難解この上ない。午後は明日の沓掛学荘の職員礼拝の準備。7月末の集中講義「日本宗教史」で学生と一緒に訪ねる予定の崇教真光の広報部から、本郷の文京大修験道場を紹介する連絡があった。「手かざし」でよく知られる比較的新しい新宗教の現在がどうなっているのか興味津々である。
 6日(木)朝早く東京駅から新幹線で軽井沢へ。9時半から職員礼拝で奨励。午後、久しぶりに追分の保志治子さんを訪ねる。お元気そうで、声にも張りがあるが、坐骨神経痛の痛みと、なにか動作をする度に荒い息をするのが気になる。来週病院に行くというので、肺機能の低下について医師に相談するようにアドバイスする。軽井沢の空気は、さすがにさわやかで一息つく想い。夕方帰京。
 7日(金)朝からキリスト教会館に出向き、管理組合の仕事とNCA運営委員会。夜は、蔵前の聖公会聖ヨハネ教会のカフェ・エクレシアを会場に、「編集者がその本音を語る」の第1回。教団出版局の編集者であった詩人の柴崎聰さんに、私が質問者になってインタビューする。20人しか入れないので、それ以上参加者があったらどうしようかと内心案じていたのだが、熱暑もあってちょうど20人の参加。編集者として、キリスト者として、そして詩人としての柴崎さんの歩みを様々な角度から聞くことができたように思う。なお、このインタビューの記録は、キリスト新聞の季刊誌『ミニストリー』に掲載される予定。

 8日(土)一日書斎に閉じ籠って説教の準備や、校正作業など。蒸し暑さに溜まらず冷房をつける。午後、会堂清掃で須賀さんたちが来られる。(戒能信生)

2017年7月2日日曜日

2017年7月9日 午前10時30分
聖霊降臨節第6主日礼拝(No14
     司式 荒井久美子
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  93-1-1
讃 美 歌  19 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編119・17~24(ギメル)
讃 美 歌  419
聖書朗読  イザヤ書49・14-21
マタイ福音書5・21-26
祈  祷
讃 美 歌  517
説  教  「兄弟への和解の勧め」
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  161
使徒信条  (9341A
献  金            茨木 啓子
報  告
頌  栄  92
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校礼拝 お話し・野口洋子、奏楽・戒能直子
・礼拝後、お茶の会

・婦人会例会 聖書研究・ルカ福音書23638、発題・萩原好子

2017年7月1日土曜日

牧師の日記から(116
 625日(日)主日礼拝。出エジプト記3章の講解説教「道を逸れて」。ミディアンの地に逃れたモーセが、一介の牧羊者として神と出会うテキストに「道を逸れて」という表現が二度繰り返して用いられている。「道を逸れて」と訳されたヘブライ語surは、「離れる」「迷う」「曲がる」などのニュアンスをもつ。民族の伝統や宗教的聖性から切り離されたところでの神との出会いが強調されていることになる。まっすぐ一直線ではないところで、モーセは神に出会ったというのだ。礼拝後、週報や『羊の群』の発送作業。フルート・アンサンブルらふぁえるの練習日で、夕方まで礼拝堂にフルートの音が流れる。
26日(月)午後から『時の徴』の編集委員会。仙台や鹿児島からも編集同人計8名が集まり、これからの編集について協議した。夜は日本聖書神学校の授業。
27日(火)午前中、北支区の教師部例会に出席のため石神井教会へ。王子北教会、石神井教会、そして小石川白山教会の三つの教会の歩みと課題への取り組みを聞く。現在の教会の様々な課題にについて考えさせられた。午後帰宅して、来週の定例長老会のアジェンダ案を作成して、書記の荒井さんにメールで送る。
28日(水)この日は梅雨らしく一日中雨。午前中、聖書を学ぶ会でレビ記の学びに入る。一見煩瑣で退屈な祭儀規定から破局の中にあるイスラエルの信仰理解を読み解こうとするが、なかなか難しい。このところ時間に追われることが多かったので、この日はのんびり書斎でまどみちおの詩集を読む。まどさんは、若き日に台湾でホーリスネの信仰に触れ受洗している。後年教会生活からは離れたが、その詩には素朴な信仰の流れがある。例えば、「いちばんぼしがでた/うちゅうの/目のようだ/ああ/うちゅうが/ぼくをみている」という「いちばんぼし」という短い詩。「知られたる我」とも言うべき視点ではないか。原稿の締め切りや調べものは放り出して、こういう詩に触れる時が一番心安らぐ。
29日(木)朝からキリスト教会館に出向き、NCAの発送作業や管理組合の仕事。帰宅したところに武蔵野教会の佐々木潤牧師から問い合わせ。教会員の中に、戦前の大久保同胞教会と小石川基督教会からの転入者がいるが、これらの教会がどの教派に属していたか不明なので教えて欲しいとの依頼。私のPCに教団の各個教会の履歴が入っているので、たちどころに判明してお応えすることができた。
30日(金)午前中、教会と隣接地との境界確認に立ち会う。お昼に関西学院をこの春退官した友人の神田健次さんが訪ねてくれる。宣教学会が上智大学であるため上京したのだ。来年3月の神学生交流プログラムで講師をお願いしている。昼食を共にしながら楽しく歓談。出版社から『キリスト教講話集』Ⅳの再校が届く。来週末までに戻さなければならない。夜は、来週のNCAプログラム「編集者にその本音を聞く」の質問事項を作成する。

71日(土)11時から、北支区教育部委員会が千代田教会で。71617日の一泊キャンプの打ち合わせ。私は早稲田奉仕園での会合に出席。(戒能信生)