2017年3月30日木曜日

牧師の日記から(103)「最近読んだ本の紹介」
 ジャック・アタリ『文明論講義 未来は予測できるか』(ちくま学芸文庫)現代フランスを代表する知識人であるアタリの著作を初めて読んだ。特に興味を惹かれたのは、未来予測に関する時間論。古代において、神に代わって、国王が時間を支配するようになる(元号制がその典型)。ところが10世紀頃から国家の歳費の不足分を、王たちは資本家から借金するようになる。つまり商業資本が時間を利子に代えたというのだ。それ以来、時間は国際金融機関が支配するようになり、現代へ至ると言う。思いもよらない指摘だが、現在の国家の枠組みをも越える強欲な資本主義の本質を衝いていることは確かだ。
 片山杜秀・島薗進『近代天皇論 神聖か象徴か』(集英社文庫)天皇の生前退位をどう理解すべきかを取り上げた対談。神権天皇制の復活ではなく、象徴としての天皇の在り方を明仁天皇自らが敢えて提案しているというのだ。それは天皇も人間であり、老いの現実を抱える存在であることを宣明していると見ることができる。退位反対論者の主張は、天皇の人権や弱さを一切認めようとしない神権天皇制の復活をもくろむものだと喝破する。特に現天皇夫妻のアジア各地への「慰霊の旅」に、戦争責任を曖昧にする政権に対しての意志を見出そうとしている。説得的だが、天皇の人間性に依拠した議論は一面で危険でもあるとも感じた。
 ジャンニ・ロダーリ『パパの電話を待ちながら』(講談社文庫)セールスマンとして旅行ばかりしている父親が、幼い娘のために毎晩電話で小さな物語を語るというスタイルを取っている。もう半世紀近く前に書かれたものだが、「イタリアの宮沢賢治」と呼ばれるにふさわしい色彩に富んだファンタジーの短編集。
 村上春樹『騎士団長殺し 上下』(新潮出版社)これだけの長編を一気に読ませる筆力は相変わらずだが、「愛の喪失」「孤独」「穴」「異世界(パラレルワールド)」といった村上作品のお馴染みの世界が展開され、新味がないという見方もできるかも知れない。終わり頃、東日本大震災の津波の映像が登場するが、どこか取って付けたという印象だった。この作品は未完で、第三部が書かれるという予測もあるようだ。つまり今この作品を書かねばならない必然性が曖昧なのだ。そこに不満は残るが、しかし読書の楽しみは堪能した。それでいいのだと思う。

 国谷裕子『キャスターという仕事』(岩波文庫)夜7時半からのNHK「クローズアップ現代」をしばしば見て来た。23年もあの番組のキャスターを務めた著者の打ち明け話。様々なエピソードも印象的だし、その英語力にも感服するが、どこか総花的で、ジャーナリストとしての骨格が不足しているという印象を否めない。テレビ・ジャーナリズムの限界ということだろうか。ポピュリズムやalternative fact「もう一つの事実」が横行する現在、ジャーナリズムは大きな岐路に立たされている。帯に「ことばの力を信じて」と銘打たれているが、瞬間的に消費されるテレビ業界に「ことばの力」を期待するのは無理なのだろうか。良心的に報道番組の制作に取り組もうとする人々はいるのだろうが。(戒能信生)

2017年3月26日日曜日

2017年4月2日 午前10時30分
受難節第5主日礼拝(No1
     司式 高岸 泰子
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  93-1-31
讃 美 歌  3 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編107・1~43(着席して)
讃 美 歌  529
聖書朗読  ダニエル書3・1-18
Ⅱテサロニケ書1・3-12
祈  祷
讃 美 歌  526
説  教  「迫害と苦難の中で」
      戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  520
使徒信条  (9341A
献  金  対外献金(関東教区師岡伝道所の会堂設備のために) 竹森靜子
報  告
頌  栄  90
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校(9:30)お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵
・礼拝後、お茶の会

・定例長老会(12:302:30

2017年3月24日金曜日

牧師の日記から(102
 319日(日)主日礼拝。Ⅱテサロニケ書11-2の講解説教。「パウロの名による手紙」としてこの第Ⅱ書簡が書かれねばならなかった初代教会の状況を考えさせられる。指導者パウロを突然失った人々は、特に再臨をめぐる誤解や混乱に対応するために、これらの偽書がいくつも作られたのだろう。パウロ研究にとっては資料的価値が低いとされるこれらの偽書から、1世紀後半の初代教会の歩みを尋ねてみようと考えている。説教としてどこまで成立するかが問題だ。礼拝後、オリーブの会で向山功さんの「経木の話し」。向山さんは、経木折箱を制作する向山製作所の社長さんなのだ。昔からお弁当など多方面で用いられてきた経木だが、プラスチック製品などに押されてすっかり斜陽になっているという。皆でいろいろな用途を提案してみたが……。その後、リーガロイヤルホテルでの東京YMCA総主事就任式に出席。旧知の人々に挨拶して早々に退出する。
 20日(月)午後から富坂キリスト教センターで池明観先生の送別会に出席。アメリカに永住されている池先生は、夫人の病気治療で半年ほど東京に滞在しておられたのだ。日本の教会に対する遺言と励ましの言葉を聞いて、改めて池先生の働きの大きさを痛感した。帰宅後、大連西広場教会の資料整理の作業。
 21日(火)5月の創立70年記念礼拝で説教をお願いしている三輪従道先生に電話して、説教題や聖書箇所を知らせてくれるように依頼する。午前中、神学読書会で北森嘉蔵先生の『神の痛みの神学』を読む。この日が最終回で、武蔵野教会の佐々木潤牧師の丁寧な紹介と発題。「神が痛む」という視点は、今日でも重要な神学的な洞察だが、実際の北森神学においては、北森先生の感性の中での神の痛みに限定されているのではないか。他者との批判的な応答がなされればもっと豊かな神学的営為につながったのにと思わされた。4月からモルトマンの『希望の倫理』を読むことにして、訳者の福島揚さんに概説をお願いすることとした。
 22日(水)聖書を学ぶ会ではマタイ福音書の受難物語を少しずつ読んでいる。この日はゲッセマネの祈りと捕縛の箇所。午後、キリスト教会館に行き、明日の予算総会の準備や打ち合わせ。神学読書会でモルトマンの解説をお願いしていた福嶋揚さんから受諾のメールが届いたので、案内の葉書を作成して発送する。
 23日(木)会館に行き、先週の神学生交流プログラムの事後処理や会計報告などの仕事。午後から会館管理組合の予算総会。無事に終わってホッとする。
 24日(金)午前中、錦糸町の賛育会病院で定期検診。夕方から富坂キリスト教センターで第5回内面史研究会。恵泉女子大の李省展、明治学院大の徐正敏の二人の研究発表があった。いずれも戦前の朝鮮における神社参拝をめぐるもので、国家が人の内面に強権的に介入した事例が取り上げられた。内地の日本人や台湾の場合との差異や共通点などについて活発な議論が続いた。

 25日(土)池袋から特急で西武秩父駅へ。2月に97歳で亡くなった故・唐崎ゆりさんの納骨式(秩父聖地公園墓地)。夕方帰宅して、明日の準備。(戒能信生)

2017年3月19日日曜日

2017年3月26日 午前10時30分
受難節第4主日礼拝(No51
     司式 荒井久美子
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  93-1-31
讃 美 歌  17 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編106・1~48(着席して)
      (Aは右側の座席、Bは左側の座席)
讃 美 歌  548
聖書朗読  創世記45・1-15
祈  祷
讃 美 歌  432
説  教  「人間の混乱と神の摂理」
      戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  300
使徒信条  (9341A
献  金            鈴木基三恵
報  告
頌  栄  89(二度繰り返して)
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校(9:30)お話し・橋本悠久子、奏楽・戒能直子
・礼拝後、お茶の会
・週報等発送作業
・CS教師会
・フルート練習(13:304:30
北支区定期総会(14:00西片町教会)


2017年3月18日土曜日

牧師の日記から(101
 312日(日)主日礼拝。Ⅰテサロニケ書51628の講解説教。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」というパウロの有名な言葉を取り上げる。この3連の勧めの真ん中に「絶えず祈れ」と命じられている。ルターは「靴屋が靴を造り、仕立屋が衣服を縫うように、信仰者は祈らねばならない」と言ったという(D.ボンヘッファー)。祈りは神の御旨を聞こうとして沈黙することから始まる。その祈りにおいて、いつも喜び、どんなことにも感謝する姿勢が整えられるというのだ。礼拝後、婦人会例会で、ロマ書161節以下に登場する奉仕女フェベを初めとする初代教会の女性指導者たちについて紹介する。夜は、先週から作業を続けている大連日本基督教会の月報『霊光』から拾い上げた126名の逝去者、650名に及ぶ会員の受洗・転入・転出、102組の結婚、96名の出生の記録を整理して、直子さんに校正を依頼する。
13日(月)昼から本郷で北支区教師部の例会。昼食を共にし、この春北支区を離れる教師たちの送別。帰宅して、キリスト者平和ネットの「戦時下の教会」の原稿を書く。今回は、昭和197月から始まった牧師の勤労動員の実態を紹介する。全国で203名の牧師たちが、軍需産業などに動員されているのだ。このコラムは字数が限られているので苦労するが。何とか仕上げてメールで送稿。
14日(火)朝早くの新幹線で京都へ。修学院セミナーハウスで開催される第8回神学生交流プログラムに出席するため。今回は参加者が少なく、7つの神学校から11名の参加。校長はいつものように関田寛雄牧師、講師はナザレン神学校の石田学先生。石田先生の牧師としての歩みを詳しく伺って深い感銘を受ける。修学院の自然に囲まれた環境の中で、夜遅くまで、神学生たちと話し込む。
15日(水)神学生交流プログラムの二日目。神学生たちによる朝の礼拝から始まり、石田先生の宣教論の講演。4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教になって以降、体制化したキリスト教の歴史が始まる。しかし今や、体制への対抗共同体としての教会の在り方が改めて求められているというのだ。午後は、同志社大学一神教学際研究センターを訪問し、四戸潤弥教授の説明を聞く。終わって、キャンパスにある朝鮮人詩人尹東柱の記念碑を見学する。同志社の学生だった時、逮捕されて獄中死している。夜はまた遅くまで学生たちとの交流が続く。
16日(木)最終日。お昼で終わって、洛西教会の柳井一朗牧師の案内で有名なイノダ本店でコーヒーを頂く。その後、友人の甲南大学教授高野清弘さんを、入院している京都桂病院に見舞う。食道癌の大きな手術を受けて、今リハビリ中なのだ。夕方の新幹線で帰京。溜まっている手紙やメールの処理。

17日(金)午前中、キリスト教会館管理組合の役員会。来週予算総会が予定されているのでその準備。午後はさすがに疲れが溜まっている感じなので、のんびりする。「平和ネット」のコラム原稿の誤植修正をメールで送る。また神学生交流プログラムでお世話になった方々にお礼状を書く。(戒能信生)

2017年3月12日日曜日

2017年3月19日 午前10時30分
受難節第3主日礼拝(No50
     司式 常盤 陽子
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  93-1-31
讃 美 歌  17 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編105・1~45(着席して)
讃 美 歌  495
聖書朗読  ヨブ記1・1-12
      Ⅱテサロニケ書1・1-2
祈  祷
讃 美 歌  460
説  教  「恵みと平和がありますように」
      戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  303
使徒信条  (9341A
献  金            鈴木基三恵
報  告
頌  栄  89(二度繰り返して)
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校(9:30)お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後、オリーブの会「経木の話し」向山功(軽食の用意あり)なるべく多くの方がご参加ください。

2017年3月11日土曜日

牧師の日記から(100
 35日(日)主日礼拝。Ⅰテサロニケ書51215の講解説教。このテキストから、最初の教会に加わった人たちが「落伍者たち」「小心な人たち」「敗れた人々」と読み解き、その指導者に求められるのは「労苦してその世話をする人」と理解できる。このように最初期の教会の様子を理解すると、現在の教職制度は相対化されるはずだ。礼拝後、定例長老会。教会総会の準備が始まる。
 6日(月)夜、NCCヤスクニ委員会で「次の代替わり」について講演。私は、1990年のNCC大嘗祭問題署名運動センターの事務局を担った。その経験から、2018年末に迫っている明仁天皇から徳仁天皇への代替わりについて、キリスト者はどう取り組むべきかを問われたのだ。もちろん大嘗祭には、憲法問題が存在し、したがって国費を使うこと、天皇の政治利用などの問題が指摘される。しかし今回の明仁天皇の生前退位の意向表明は、象徴天皇制のあり方についての一つの問いと提案を含んでいる。すなわち神権天皇制への回帰ではなく、「被災者見舞い」や「慰霊の旅」に示される象徴天皇の役割を提示しているのではないか。特に、この国の政府が依然として戦争責任を曖昧にしている現状で、アジアの各地に「慰霊の旅」を続けていることの意味をどう受け止めるべきなのだろうか。
 7日(火)柏木義円研究の『紀要』が出来て来たので、直子さんに手伝ってもらってその発送作業。実は、柏木義円研究会の事務所は千代田教会に置かれていて、私がその事務局の責任を負っているのだ。夕方からキリスト教会館に行き、来週の神学生交流プログラムの準備。夜はボイストレーニングに顔を出す。
 8日(水)午前中、聖書を学ぶ会でマタイ福音書の受難物語を取り上げる。午後から大連日本基督教会の月報『霊光』の分析にとりかかる。先ず、毎号の「個人消息」欄から、受洗者、転入者、転出者、逝去者、結婚、誕生の記事を抽出して、データベースを作っていく。まことに手間のかかる地味な作業だが、一人一人の教会員を追うことを通して、西広場教会の歩みを跡付けようというわけだ。
 9日(木)朝早くの新幹線で軽井沢へ。興望館沓掛学荘の職員礼拝で奨励「ただ一匹の羊を追って」。午後、時間があったので近くの森を散策する。今年は浅間の積雪は少なく、地面に積み重なった落ち葉の上をのんびり歩く。夕方帰宅して、『霊光』のデータベース作成作業の続き。昭和18年ごろから急速に教勢が停滞して来る。受洗者も減り、礼拝出席者も減少する。教会員の岡崎大祐さんの受洗の記録を見つけ、その日時が千代田教会の原簿と異なっているので、岡崎さん本人に電話して聞いてみる。『霊光』の記事の方が正しいことが確認できた。夜は北支区の連合祈祷会で信濃町教会へ。この日は、東日本大震災を覚えて、勿来教会の武公子牧師の奨励。野口倢司さんも出席。その後、武牧師を囲んで食事。

 11日(土)午前中、歯科医の定期検診。帰宅して、午後から日本聖書神学校での東日本大震災のチャリティーコンサートに参加するはずが、ちょっと疲れがたまっている感じなので欠席することにする。後は明日の礼拝の準備。(戒能信生)

2017年3月5日日曜日

2017年3月12日 午前10時30分
受難節第2主日礼拝(No49
     司式 茨木 啓子
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  93-1-31
讃 美 歌  17 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編104・1~35(着席して)
讃 美 歌  396
聖書朗読  イザヤ書35・1-10
      Ⅰテサロニケ書5・16-28
祈  祷
讃 美 歌  299
説  教  「喜べ、祈れ、感謝せよ」
      戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  394
使徒信条  (9341A
献  金            新木  裕
報  告
頌  栄  89(二度繰り返して)
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校(9:30)お話し・野口倢司、奏楽・戒能直子
・礼拝後、お茶の会

・婦人会例会 聖書研究(ロマ書1612)担当・戒能牧師(婦人会総会)

2017年3月3日金曜日

牧師の日記から(99
 226日(日)主日礼拝。創世記39章を取り上げて講解説教「主が共におられる」。ヨセフ物語に特有の衣服に関する記述を手がかりに、異国で都市生活を強いられるユダヤ人たちが読者と想定される。つまりアブラハム・イサク・ヤコブの族長伝承とは全く異質のディアスポラのユダヤ人を主人公とするヨセフ物語が、族長伝説と接続されることによって、離散の民をイスラエル民族の歴史に位置付けようとしているのではないか。そしてその離散の民と「主が共におられる」というメーッセージがそこに主題として掲げられていると読むことができる。
27日(月)朝早く新幹線で京都へ。日本クリスチャン・アカデミーの理事会に出席するため。車中、村上春樹の最新作『騎士団長殺し』を読む。理事会後、関西セミナーハウスで3月半ばに行われる神学生交流プログラムの打ち合わせ。夜は、今出川の料亭萬重で、昨年の同志社神学協議会のご苦労さん会。京料理に舌鼓を打ちながら、委員の皆さんといろいろ話し合う。最終の「ひかり」で帰京。車中、村上春樹の小説を堪能する。
28日(火)午前中、神学読書会で北森嘉蔵先生の『神の痛みの神学』を取り上げる。西片町教会の山本裕司牧師が丁寧に紹介してくれる。出席者は教職7名、信徒1名の合計8名。すべてを「神の痛み」に収斂させてしまう北森理論の抽象性に議論が集中する。午後、郵便局に行って『時の徴』の印刷費や『戦責告白から50年』の出版協力費等の振り込み。また税務署に確定申告と関連資料の提出。毎年これが済むとホッとする。午後、村上春樹の小説を読了する。何といっても上下2巻の長編を一気に読ませる筆力に感心する。しかしこの作家がこの時期にこの小説を書かねばならなかった必然性はあまりはっきりしない。
31日(水)灰の水曜日で、この日からレント(受難節)に入る。聖書を学ぶ会では出エジプト記の学びを中断して、今年はマタイ福音書の受難物語を少しずつ読んで行くことになる。来週、NCCヤスクニ委員会で天皇の代替わりについて講演しなければならないのでその準備。1990年の大嘗祭署名運動センターの経験を踏まえて、天皇の生前退位とその後に続く大嘗祭・即位の礼にキリスト教会がどのような対応をするのか、きわめて難しい問題を含む。今の天皇は、象徴天皇の役割として「慰霊の旅」を続けて来ており、それはある意味では戦争責任を曖昧にして来たこの国に対する一つの問いではないか。神権天皇制をキリスト教の立場から批判することはできても、象徴天皇制をどう見るかは難題である。
2日(木)午前中、キリスト教会館の耐震改修工事の一年目点検。大きな問題はなさそうだ。帰宅して、午後から『戦責告白から50年』の発送作業。

3日(金)かつてのNCAの宗教対話チームが鎌倉で落ち合って、一緒に会食し近況を報告し合う。元ジャーナリストが多いので、昨今の政治状況や宗教界の話題が尽きない。食事の後、報国寺(竹の寺)を訪ねてお抹茶を頂く。東京までの帰りの電車の中でも談論風発留まるところを知らず。(戒能信生)