2017年2月26日日曜日

2017年3月5日 午前10時30分
受難節第1主日礼拝(No48
     司式 荒井  眞
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  93-1-31
讃 美 歌  17 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編103・1~22(着席して)
讃 美 歌  297
聖書朗読  申命記30・15-20
      Ⅰテサロニケ書5・12-15
祈  祷
讃 美 歌  509
説  教  「相互扶助の勧め」
      戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  563
使徒信条  (9341A
献  金  震災で被災した湯布院教会会堂再建のために    柴田 哲子
報  告
頌  栄  89(二度繰り返して)
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校(9:30)お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵
・礼拝後、お茶の会

・定例長老会

2017年2月25日土曜日

牧師の日記から(98)「最近読んだ本の紹介」
 水島次郎『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』(中公新書)世界を席巻しているポピュリズム(大衆迎合主義)の歴史的な系譜を分かりやすく解説してくれる。特にラテンアメリカにおけるペロン革命の意味や、近年のオランダやデンマークなどEU諸国におけるポピュリズム政党の消長を初めて学ぶことができた。安倍政権が支持されている雰囲気は、いま世界に共通するようだ。その先に何があるのか、改めて政治の課題を考えさせられた。
 キジ・ジョンスン『霧に橋を架ける』(創元社SF文庫)現代アメリカの女流作家のSF・ファンタジー短編集。ル・グィン以来、SFの世界では、男と女のジェンダーを越えるイメージの作品が特に女性作家によって次々に書かれている。表題作も世界を二分する断絶の霧を架橋するファンタジーの世界を描いている。
 佐藤彰一『贖罪のヨーロッパ 中世修道院の祈りと書物』(中公新書)5世紀から12世紀にかけての修道院の歴史を辿る学術書。贖罪信仰がどのような過程で倫理化され、それが修道院運動へと展開されたのかを追っている。さらに修道院の社会史とも言うべき、その経済活動や写本制作など活動を紹介している。
保坂展人『相模原事件とヘイトクライム』(岩波ブックレット)昨年7月相模原の津久井やまゆり園で起こった惨劇(19人の障害者が虐殺され、施設職員も含めて27人が重軽傷を負った事件)について、その意味を追ったブックレット。戦時下におけるナチス・ドイツの障害者殺戮(「T4作戦」と呼ばれる)の思想がその根底にあり、それは行き詰まった感のある現代社会を厳然として覆っている。
デイヴィッド・フィンケル『兵士は戦場で何を見たのか』(亜紀書房)イラク戦争に従軍したアメリカ陸軍歩兵大隊に同行し、若い兵士たちが傷つき、殺されていく姿を生々しく記録したドキュメント。どんな戦争映画よりも、現代の戦争がいかに残酷で無惨なものであるかを描き出している。新聞やテレビで伝えられるイラク戦争とは全く違う戦闘の実態に打ちのめされる想いで読まされた。同じ著者が、続編『帰還兵はなぜ自殺するのか』を書いているという。
伊東祐吏『丸山眞男の敗北』(講談社選書メチエ)若き政治学者(1974年生れ)が丸山眞男の神話に果敢に挑戦しているが、どうもその批判が当たっているのかどうかよく読み取れない。しかし丸山の生涯を丹念に追って、その時々の研究や著作と照らし合わせているので、改めて丸山眞男を理解するのに参考になる。

本井康博編『回想の加藤勝弥 クリスチャン民権家の肖像』(キリスト新聞社)1981年に刊行された「地方の宣教叢書」の一冊。教会の書棚に見つけて目を通した。もう山形県に近い新潟県北部の辺境に生まれた加藤勝弥は、自由民権運動に参加し、衆議院議員にもなるが、何より篤実なクリスチャンとして知られる。その一族から、牧師や教師など多数の有為なクリスチャン群像が輩出されているという。実は千代田教会の創立者白井慶吉牧師もまたその一族に連なる一人なのだ。改めて地域に密着したキリスト教史の視点に学ばされた。(戒能信生)

2017年2月19日日曜日

2017年2月26日 午前10時30分
降誕節第10主日礼拝(No47
     司式 高岸 泰子
    奏  黙 想       奏楽 向山 康子
招  詞  93-1-8
讃 美 歌  5 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編102・1~29(着席して)
讃 美 歌  412
聖書朗読  創世記39・1-23
      マタイ福音書1・23
祈  祷
讃 美 歌  499
説  教  「主が共におられる」
      戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  430
使徒信条  (9341A
献  金            戒能 直子
報  告
頌  栄  85(二度繰り返して)
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校(9:30)お話し・橋本悠久子、奏楽・向山康子
・礼拝後、お茶の会
・週報等発送作業

・CS教師会

2017年2月18日土曜日

牧師の日記から(97
 212日(日)主日礼拝。Ⅰテサロニケ書41318から講解説教「既に逝った人たち」。初代教会の人々は自分たちが死ぬ前に主の再臨が来ると信じていたようだ。ところがテサロニケの教会で亡くなった人が出て、再臨を待たずに死んだ人たちはどうなるのかという質問を寄せたのだろう。それに対してパウロは、終わりの日にすべての者が主にあって引き上げられる(復活する)と答えている。先日亡くなった永松貢さんのご遺族紀義さんが出席され挨拶してくれた。礼拝後、婦人会例会。常盤陽子さんの発題で、ヤッファの女弟子タビタ(使徒言行録9章)について学ぶ。夜は、『戦責告白から50年』の三校の校正作業。
13日(月)午前中、税務相談で確定申告の準備。マイナンバー制が導入され、その運用に疑問を抱いているので、厄介なやり取りになる。午後から西新井の在日大韓教会神学校を会場に、『時の徴』の研修会。特に「将来構想委員会答申」をめぐって議論する。教団全体の教勢停滞の中で、上意下達式の組織に再編しようとしているようだ。しかしそんな仕方で諸教会の多様性を整序しようとしても、逆に教会の自立性や生命力を削いでしまうことになるのではないか。夜は近くの韓国料理屋さんで懇親の時を持ち、宿舎で夜遅くまで議論をして楽しかった。
14日(火)午前中いっぱい研修会の続き。午後帰宅して、届いているいくつものメールの処理。夜はキリスト教会館でのボイストレーニングに参加。
15日(水)午前中、聖書を学ぶ会。出エジプト20章から「十戒」の後半部を取り上げる。午後は『戦責告白から50年』の最終校正の作業。ギリギリの段階でいくつも誤植が見つかり、その対応に追われる。夜遅くフィリピンからメールが入り、旧知の宣教師夫妻が泥棒にあって困っているのでお金を送ってくれと言って来る。真偽が定かでないので、その宣教師をよく知る同志社の知人に転送して、情報を確かめてもらう。どうやら手の込んだ振り込め詐欺のようだ。
16日(木)午前中キリスト教会館で、会館、AVACO、早稲田奉仕園の三者会に出席。午後から会館オウナー懇談会。管理規約の不備を謄本と照らし合わせて修正する面倒な協議。その後、NCAの事務と管理組合の仕事。帰宅すると、北支区報『北斗星』の校正が届いていて、校正を返信する。
17日(金)『平和ネット』の連載コラムの原稿「戦時下の軍用機献納運動」を書き上げて入稿する。『柏木義円研究会』の紀要の校正も。午後、富士見町教会の長老でNCA運営委員の郡山千里さんが訪ねてくれて、来年度のプログラムについて相談。キリスト教ジャーナリストたちに呼びかけて、現在の教会の課題について話し合う企画を準備する。夜は支区社会部の集会で信濃町教会へ。4人の信徒の発題がすばらしかった。障害者として働く中からの重い問いかけや、鬱を抱える教師の悩みに感銘を受け、考えさせられることが多かった。

18()午後からNCAのプログラムで奥田知志牧師の講演会へ。奥田牧師は、バプテスト連盟の牧師で、北九州でホームレス支援を展開している。(戒能信生)

2017年2月12日日曜日

2017年2月19日 午前10時30分
降誕節第9主日礼拝(No46
     司式 野口 倢司
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  93-1-8
讃 美 歌  5 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編101・1~8
讃 美 歌  579
聖書朗読  列王記下5・1-14
Ⅰテサロニケ書5・1-11
祈  祷
讃 美 歌  471
説  教  「目を覚ましていなさい」
      戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  156
使徒信条  (9341A
献  金            橋本悠久
報  告
頌  栄  85(二度繰り返して)
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校(9:30)お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会

2017年2月10日金曜日

牧師の日記から(96)「最近読んだ本の紹介」
 カルロ・レーヴィ『キリストはエボリで止まった』(岩波文庫)イタリア文学には全く疎いのだが、題名に惹かれて手に取った。1935年、ファシスト政権によって逮捕され流刑処分を受けた著者の実体験をもとに書かれたドキュメント。この作品が、戦後イタリアのネオ・リアリズム運動に大きな影響を与えたとのこと。南イタリアの僻村に流刑された芸術家が、貧困にあえぐ民衆と触れ合う経験が活写されている。流刑によって社会と遮断されないで、かえってファシズムからも疎外されている僻地の貧しい民衆の生活がイキイキと描かれている。
芳川泰久『坊ちゃんのそれから』(河出書房新社)夏目漱石の『坊ちゃん』のその後を描いた小説。明治中期から後半期の世相の転変の中で、山嵐は社会主義者に、坊ちゃんは街鉄の運転手から刑事になるという奇想天外な展開。文学作品としての価値はともかく、番町教会の植村正久やキングスレー館の片山潜、幸徳秋水や大杉栄までが登場する。つまり坊ちゃんの青春が、その後の明治後半期の時代においてどのように蹉跌していくかをテーマとしている。興味深いのは、明治3610月の(日露開戦に対する)非戦論演説会が本郷中央会堂で行われ(著者はこれがメソヂスト教会であることに気付いていない)、361月に神田の基督教青年会会館(YMCA)で社会主義大演説会が開かれていること。これは単に会場提供にとどまらず、明治半ばの時期のキリスト教が社会主義思想とも隣接していたことを示している。にもかかわらず、日清・日露戦争、そして大逆事件を経て、キリスト教会からはそのような側面は払拭されていく。
林俊雄『スキタイと匈奴 遊牧の文明』(講談社学術文庫)騎馬遊牧民の歴史を分かりやすく解説した入門書。従来はヘロドトスや司馬遷等の僅かな記述によってしか知られなかった騎馬遊牧民の生活と文化が、最近の考古学的研究の成果を盛り込んで紹介されている。歴代の中国政権が万里の長城を築いて防ごうとした匈奴、古代ローマ帝国を亡ぼしたゲルマン民族の大移動の背後にあったフン族の西進、その源流に騎馬遊牧民スキタイの文明が存在したという。現在ヨーロッパに押し寄せている難民の流入は、これからの社会にどのような変貌をもたらすのだろうか。草原に消えた騎馬遊牧民の痕跡は、今も様々なことを考えさせる。
W・K・クルーガー『ありふれた祈り』(ハヤカワ文庫)ミネソタの田舎町の牧師の家庭に起こった悲劇が、13歳の少年の眼を通して描かれる。ミステリー小説の形を取りながら、1960年代初頭のアメリカの田舎と牧師館の生活が浮かび上がる。私も牧師館に育ったので、読んでいて息苦しくなるほど思い当たる節があり、途中で何度も読むのを中断した。しかしエピローグに至って、この手の小説にしては珍しい清々しい読後感だった。一読をお勧めする。

齋藤美奈子『文庫解説ワンダーランド』(岩波書店)『図書』の連載を新書化したもの。文庫の解説を読み比べて、それを批評するという着想が秀逸。文庫解説がしばしば著者への追従として書かれているという指摘は鋭い。(戒能信生)
2017年2月12日 午前10時30分
降誕節第8主日礼拝(No46
     司式 荒井久美子
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  93-1-8
讃 美 歌  5 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編100・1~5
讃 美 歌  382
聖書朗読  イザヤ書30・18-26
Ⅰテサロニケ書4・13-18
祈  祷
讃 美 歌  111
説  教  「先に逝った人たち」
      戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  575
使徒信条  (9341A
献  金             橋本 茂
報  告
頌  栄  85(二度繰り返して)
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校(9:30)お話し・野口洋子、奏楽・戒能直子
・礼拝後、お茶の会

・婦人会例会 聖書研究 使徒言行録93446、担当・常盤陽子

2017年2月5日日曜日

牧師の日記から(95
 129日(日)主日礼拝、創世記38章の「ユダとタマル」の伝承を取り上げ、「あるスキャンダル(醜聞)」と題して説教。このテキストを扱った講解はまず見たことがないが、名誉牧師の松野俊一先生の『創世記講解』にはちゃんと取り上げられている。それも参考にしつつ、このようなスキャンダルがイスラエル史に位置付けられ、イエスの系図に組み込まれていることの意味を改めて考えさせられた。午後は、ラグビーのトップリーグの決勝戦をテレビ観戦。夕食は、久しぶりに私が料理を担当すると、どうも直子さんの機嫌が悪い。準備の仕方が違うためらしい。家事分担もなかなか難しい問題がある。
 30日(月)東駒形教会での牧師の勉強会・月曜会で、内村鑑三の『代表的日本人』を取り上げて紹介と発題。西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮といった人々を代表的日本人として紹介したものだが、そのほとんどはこれが書かれた明治中期にはそれほど知られた存在ではなかった。必ずしも成功者とは言えないこの5人を取り上げてこの国の代表的精神とするとき、そこに既に内村なりの仕方での文明批評がある。内村の特に初期の著作には言葉の力があるように感じる。四書五経などの素読の経験から、音読の習慣があったからではないだろうか。帰宅して、『時の徴』の次号と『戦責告白50年』の校正作業。
 31日(火)一日中書斎に籠って校正作業、午後、何とか仕上げて出版社に送る。NCAの次年度事業計画を作成して京都の本部に送付。そして来週の定例長老会の準備等々。夕方、上林順一郎先生からの電話に慌てる。約束していたのをすっかり忘れていたのだ。急いで新井薬師までタクシーを飛ばし、駅近くの料理屋で、上林牧師と真﨑みよ子さんと食事。魚料理が中心の不思議なお店だった。金目鯛の揚げ物とか鮟鱇の煮物といった珍しい料理を堪能する。
 21日(水)午前中、聖書を学ぶ会で、出エジプト記19章を取り上げる。そこに、荒井献先生の紹介でプネウマ舎の中川和夫さんが訪ねて来る。祈祷会後、いろいろ話を伺う。NCAで中川さんを講師に、「出版状況の危機と、編集者から見た現在日本の知の状況」というような講座ができないかという相談。キリスト者遺族の会の井上健さんが亡くなって、この日の午後葬儀が行われた。私は出席できず、遠くから冥福を祈る。脳性麻痺という障害を負いながらも、ヤスクニ運動などで実に誠実な役割を担った人だった。
 2日(木)午前中一杯かかって、会館管理組合の決算予測や次年度予算、規約の一部改訂等の書類を整える。午後から会館に出向き、NCAの事務処理と管理組合の仕事。7階のテナントの窓枠に不具合があるということで、修理を依頼。来年3月の神学生交流プログラムの講師として、仙台の浅見定雄先生に来ていただけないか交渉する。夫人の介護で大変なようだが、前向きに検討するとのこと。

 3日(金)午前中、管理組合の役員会。次年度の予算の大枠の検討と、2月半ばに開催されるオウナー会議の準備。この職務も任期延長になる。(戒能信生)