2016年12月17日土曜日

牧師の日記から(88)「最近読んだ本の紹介」
大江健三郎『晩年様式集』(講談社文庫)大江さんの小説は初期から中期のものはほとんど読んで来たが、奇妙なことにノーベル文学賞受賞以降の作品は読まなくなっていた。この国に特有の私小説的な文体に敢然と切り込んで独自の文体を編み出した著者が、しかし後期の作品になると一層私的な状況を織り込んだ複雑な構成の作品作りをするようになり、正直に言って読むのがしんどくなった。しかしこの作品は311以降の時代状況に並走して書かれていることもあって、久しぶりに目を通した。自らの老いを直視しつつ、近親の女性たちの批判に応えて、80歳を迎えようとする小説家の想像力がいまだに健在であることに励まされた。特に最後の詩はこの作家の生涯の歩みを記したものとして感銘を受けた。
金石範・金時鐘『なぜ書き続けて来たか、なぜ沈黙して来たか』(平凡社ライブラリー)43済州島事件にこだわって『火山島』を40年に渡って書き続けて来た在日の小説家と、あの事件の渦中での悲痛な経験を負う在日の詩人の対談集(済州島事件についての詳細な資料や年表が付されている)。それにしても1948年済州島事件についての詩人の証言は凄惨で胸を突かれる。日本の植民地支配からの解放後に起こったこの悲惨な出来事を、母国語ではない日本語で表現することの意味、あるいは沈黙せざるを得なかった重さが徹底して追及され、在日の戦後の政治的葛藤の一端も伺い知ることができる。かつて鶴見俊輔さんが金石範の文体を、戦後日本語文学の稀少な例外として評価していたことを思い出した。
中尾健次『江戸の大道芸人 都市下層民の世界』(ちくま文庫)被差別部落の歴史の専門家が、江戸期の都市下層民の生活実態を資料から再現している。乞胸、願人、香具師、猿飼等の大道芸人の姿が興味深い。しかし明治期の都市貧民窟の実態(横山源之助の探報記などに見られる)との接続がよく分からない。幕藩体制の崩壊は、都市下層民の生活にも大きな影響を与えたことは確かなようだ。
アンデシュ・ルースランド&ステファン・トウンベリ『熊と踊れ 上下』(ハヤカワ文庫)1990年代初頭、スウェーデンで続発した武装銀行強盗事件をドキュメンタリーの手法を用いて小説化した重厚な大作。一見ハードボイルドな犯罪小説に見えるが、犯行に加わらなかった弟の協力を得て、犯人たちの家族の姿を書き込み、移民社会スウェーデンのある断面を抉っている。

カタリーナ・インゲルマン=スンドベリ『犯罪は老人のたしなみ』(創元社推理文庫)老人ホームに暮らす80歳前後の老人たちが、美術館から絵画を盗んだり現金輸送車を襲ったりするユーモア小説。高齢のため足元の覚束ない主人公たちがなんと歩行器を使って犯罪を実行するのだが、暇を持て余す年金生活者たちの夢物語を小説にしたような作品。そう言えば、最近老人を主人公にしたミステリーが目立つ。ダニエル・フリードマンの『もう年はとれない』や『もう過去はいらない』(いずれも創元社推理文庫)も、過剰な暴力主義者ダーティー・ハリーの老後を描いている。似たような作品がこの国でも書かれるのではないか。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿