2016年12月31日土曜日

牧師の日記から(90)「クリスマス・カードに添えて私たち家族の近況報告」
 私は年賀状を出す習慣をもちません。知友の人々にクリスマス・カードを送り、それを年賀状代わりにして来ました。以下は、今年のクリスマス・カードに添えた私たち家族の近況報告です。

 信生は、千代田教会に赴任して2年目。まずまず健康を支えられ、新しく始めた研究会や神学読書会、各神学校への出講などを担っています。教会の週報の牧師の日記に、ネタに困って「最近読んだ本の紹介」を連載し、ブログにも上げています。来年は井上良雄先生のノートから翻刻した『キリスト教講話集』Ⅲ、Ⅳが刊行されるはずです。ご期待ください。
 直子さんは、教会の庭にある薔薇の世話、甘柿の収穫(今年は約700個採れた)、無花果(約150個)のジャム造りなどにいそしみ、いつものマイペースで平穏な日々を送っています。四谷や曙橋の環境にも慣れて来ましたが、時折錦糸町あたりの下町まで、買い物の足を延ばしているようです。
 同居の羊子は、練馬のアニメ会社への勤務で、相変わらず夜遅くの帰宅です。所属する東駒形教会には月一度程度礼拝に出席し、後は千代田教会の礼拝に出席しています。
行徳に住む嘉信は、IT関係の仕事に追われていますが、独り暮らしなので体調の管理が行き届かないのが心配です。
白山に住む謙は、雲柱社の経理の仕事、清美さんは看護師の仕事は休職中で、二人の生活を楽しんでいるようです。 
近くにお越しの折には、是非お立ち寄りください。
201612月        戒能信生、直子
                嘉信、羊子、謙、清美
160-0002東京都新宿区四谷坂町4-34千代田教会
0333514489Email k-kaino@mvb.biglobe.ne.jp

                             (戒能信生)

2016年12月25日日曜日

2017年1月1日 午前10時30分
降誕節第2主日合同礼拝(新年礼拝)(No40
     司式 荒井久美子
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  93-1-26
讃 美 歌  2 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編94・1~23(着席のまま)
讃 美 歌  278
子どもの祝福
聖書朗読  エレミヤ書31・15-17
ヨハネ黙示録22・12-13
祈  祷
讃 美 歌  365
説  教  「初めと終わりを護られる主」
      戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  368
使徒信条  (9341A
献  金            津金 寿子
報  告
頌  栄  91
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校 合同礼拝に合流
・礼拝後、お茶の会

・定例長老会は18日礼拝後

2016年12月23日金曜日

牧師の日記から(89)「最近読んだ本の紹介」
サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』(白水ブックス)学生時代に観たこの不条理劇は未だに忘れがたい印象を残している。その脚本を見つけたので買って読んでみた。登場人物の無意味なおしゃべりが巧みに構成されており、演劇で観るのとはまた違った印象を受けた。ゴドー(つまり神)を待ちながら、無為に過ごしている現代人の姿が痛烈に皮肉られている。しかしこの無意味なセリフを覚えなければならない役者はさぞ大変だろう。アドリブを入れて、現代風に(なにせ60年前の作品なので)アレンジするとどうなるのだろうか。
村上春樹『女のいない男たち』(文芸春秋)本屋さんで村上春樹の新作文庫本を見つけたと思って手に取ってみると、かすかに読んだ記憶がある。帰って探してみると、単行本を買って読んでいたのだ。しかし内容をすっかり忘れていたので再読した。若い時期の著者が書いた恋愛ものとはかなり異なる雰囲気の短編集で、深読みせずにただ単純に読書の楽しみとして読むことができる。
飛田雄一『現場を歩く、現場を綴る 日本・コリア・キリスト教』(かんよう出版)古い友人である著者から贈呈された。長く神戸学生センターの館長をしている飛田さんは、在日韓国・朝鮮人問題に深く関わり、その活動の中で出会った研究者や作家たちを講師に、実に魅力的なセミナーや講座を組織して来た。私は関西圏の運動状況に暗いので、教えられることや気づかされることが多かった。何より飛田さんの党派性(キリスト教も含めて)にこだわらない腰の軽さと自由さに惹かれる。現場感溢れる飛田さんらしい好著。一緒に贈呈された『心に刻み、石に刻む 在日コリアンと私』(三一書房)は、横行するヘイト・スピーチの歴史的背景を追ったもので、そのまま在日コリア運動史になっている。
C・シュトローム『カルヴァン 亡命者と生きた改革者』(教文館)これも訳者の菊地純子さんから贈呈された。小さな書物だが、宗教改革者カルヴァンの歩んだ軌跡を、最近の研究も踏まえて描き出している。そもそもカルヴァンという人は自分自身のことをほとんど語らない人だったので(『キリスト教綱要』という分厚い神学書の中で、「私は」という主語が二度しか出て来ないという神話がある)、いつカトリックからプロテスタントに回心したかすら不明なのだ。それもあってか、旧・日本基督教会系の牧師たちの中には、説教の中で自らのことに全く触れないという伝統が生まれたされている。私自身は、自分の失敗談などを紹介することが多いので、逆に自らを全く語らないカルヴァンに興味がある。

KAWADE夢ムック『文藝別冊 カール・リヒター』(河出書房新社)『マタイ受難曲』を初め、私が聞いて来たバッハのほとんどはリヒターの指揮やオルガン演奏のものが多い。他の指揮者のものと聴き比べているわけではないが、バッハと言えばリヒターという定説が出来てしまっている。最近、古楽器によるバッハ演奏が流行り、その点からリヒターはもう古いとする評価があるそうで、バッハ音楽の解釈と振興に生涯を捧げたこの人を再評価する内容になっている。(戒能信生)

2016年12月18日日曜日

2016年12月25日 午前10時30分
降誕節第1主日合同礼拝(No39
     司式 常盤 陽子
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  93-1-11
讃 美 歌  242 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編93・1~11
讃 美 歌  257
子どもの祝福
聖書朗読  イザヤ書9・1-6
ルカ福音書2・8-20
祈  祷
讃 美 歌  263
説  教  「地には平和を」
      戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  265
使徒信条  (9341A
聖 餐 式  配餐・茨木啓子、高岸泰子
讃 美 歌  81
献  金            竹森 靜子
報  告
頌  栄  83
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校 合同礼拝に合流
・礼拝後、愛餐会・祝会(受洗者・転入会者歓迎会)、CS劇、お話し(茨木啓子)、クイズ大会(松野俊一牧師)、司会・石井房恵

・週報等発送作業

2016年12月17日土曜日

牧師の日記から(88)「最近読んだ本の紹介」
大江健三郎『晩年様式集』(講談社文庫)大江さんの小説は初期から中期のものはほとんど読んで来たが、奇妙なことにノーベル文学賞受賞以降の作品は読まなくなっていた。この国に特有の私小説的な文体に敢然と切り込んで独自の文体を編み出した著者が、しかし後期の作品になると一層私的な状況を織り込んだ複雑な構成の作品作りをするようになり、正直に言って読むのがしんどくなった。しかしこの作品は311以降の時代状況に並走して書かれていることもあって、久しぶりに目を通した。自らの老いを直視しつつ、近親の女性たちの批判に応えて、80歳を迎えようとする小説家の想像力がいまだに健在であることに励まされた。特に最後の詩はこの作家の生涯の歩みを記したものとして感銘を受けた。
金石範・金時鐘『なぜ書き続けて来たか、なぜ沈黙して来たか』(平凡社ライブラリー)43済州島事件にこだわって『火山島』を40年に渡って書き続けて来た在日の小説家と、あの事件の渦中での悲痛な経験を負う在日の詩人の対談集(済州島事件についての詳細な資料や年表が付されている)。それにしても1948年済州島事件についての詩人の証言は凄惨で胸を突かれる。日本の植民地支配からの解放後に起こったこの悲惨な出来事を、母国語ではない日本語で表現することの意味、あるいは沈黙せざるを得なかった重さが徹底して追及され、在日の戦後の政治的葛藤の一端も伺い知ることができる。かつて鶴見俊輔さんが金石範の文体を、戦後日本語文学の稀少な例外として評価していたことを思い出した。
中尾健次『江戸の大道芸人 都市下層民の世界』(ちくま文庫)被差別部落の歴史の専門家が、江戸期の都市下層民の生活実態を資料から再現している。乞胸、願人、香具師、猿飼等の大道芸人の姿が興味深い。しかし明治期の都市貧民窟の実態(横山源之助の探報記などに見られる)との接続がよく分からない。幕藩体制の崩壊は、都市下層民の生活にも大きな影響を与えたことは確かなようだ。
アンデシュ・ルースランド&ステファン・トウンベリ『熊と踊れ 上下』(ハヤカワ文庫)1990年代初頭、スウェーデンで続発した武装銀行強盗事件をドキュメンタリーの手法を用いて小説化した重厚な大作。一見ハードボイルドな犯罪小説に見えるが、犯行に加わらなかった弟の協力を得て、犯人たちの家族の姿を書き込み、移民社会スウェーデンのある断面を抉っている。

カタリーナ・インゲルマン=スンドベリ『犯罪は老人のたしなみ』(創元社推理文庫)老人ホームに暮らす80歳前後の老人たちが、美術館から絵画を盗んだり現金輸送車を襲ったりするユーモア小説。高齢のため足元の覚束ない主人公たちがなんと歩行器を使って犯罪を実行するのだが、暇を持て余す年金生活者たちの夢物語を小説にしたような作品。そう言えば、最近老人を主人公にしたミステリーが目立つ。ダニエル・フリードマンの『もう年はとれない』や『もう過去はいらない』(いずれも創元社推理文庫)も、過剰な暴力主義者ダーティー・ハリーの老後を描いている。似たような作品がこの国でも書かれるのではないか。(戒能信生)

2016年12月11日日曜日

2016年12月18日 午前10時30分
待降節第4主日礼拝(No38
     司式 荒井  眞
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  93-1-11
讃 美 歌  242 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編92・1~16(着席のまま)
讃 美 歌  531
聖書朗読  イザヤ書7・10-16
Ⅰテサロニケ書2・13-20
祈  祷
讃 美 歌  539
説  教  「苦難を負う者として」
      戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  245
使徒信条  (9341A
献  金            鈴木志津恵
報  告
頌  栄  83
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校(9:00)お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会

2016年12月9日金曜日

 牧師の日記から(87
124日(日)待降節第2主日礼拝。Ⅰテサロニケ書21-8の講解説教。8節にパウロがテサロニケの信徒たちを「いとおしく思っている」という表現が出て来る。このギリシア語homeiromaiは、新約聖書全体でこの箇所だけに用いられている稀少な言葉。そもそもこの手紙は現存するパウロの手紙の中で最も初期のもので、後の手紙のような神学的な展開がなされているわけではない。それだけにパウロの率直な心情が込められていのではないだろうか。礼拝後、定例長老会でクリスマスなどの準備について相談する。長老会の後、条谷泉さんと土沢教会の上野玲奈牧師が訪ねてくれる。教会員の結婚式のために上京された由。『時の徴』の次号から聖書随想の連載を依頼したので、その打ち合わせの相談でもある。地方の教会で苦闘している牧師の悩みの一つは、勉強する機会に恵まれないこと。激励して何冊かの書籍を進呈する。夜は羊子の誕生日ということで家族が集まる。
5日(月)授業で北森嘉蔵先生を取り上げるので、この間『神の痛みの神学』や『神学的自伝』を読み直している。不思議なことに、そこに北森先生の父上のことが一切登場しない。丸山久美子の『北森嘉蔵伝』にも父親のことには全く触れられていない。どんな事情があるのか分らないが、これは北森神学の「父性の不在」という問題と関係するかもしれない。夜は日本聖書神学校の授業。古い友人でもある神戸学生センターの飛田雄一さんから『現場を歩く現場を綴る』『心に刻み石に刻む』の2冊の本が送られてくる。早速目を通して礼状をメールで送る。
6日(火)午前中からキリスト教会館に出かけて、NCAの発送作業の準備。午後運営委員会。この仕事もそろそろ次の人に引き継がねばならないのだが、後任を探すのが容易ではない。夜は、友野富美子さんのボイストレーニングに参加。
7日(水)午前中、聖書を学ぶ会。出エジプト記14章を取り上げる。旧約聖書最大の奇跡と言われる海の奇跡の場所とされるバアル・ツェホンが現在のどこであるのか、研究者の間で議論があるようだ。ただ砂州に轍を取られたエジプト軍の最新鋭の戦車から逃亡の民が逃げ延びたことは確かなようだ。この経験が、民族の共同の記憶として長く伝えられ、イスラエルの原体験となったと言える。
8日(木)この日は一日在宅。いろいろ溜まっている雑用を処理する。この夏の同志社神学協議会での講演を短くまとめる原稿を思い出して慌てる。これが意外に厄介。二つの講演を6000字に要約しなければならないのだが……。
9日(金)午前中、西早稲田のキリスト教会館で会館管理組合委員会。午後、近くの郵便局へ。『時の徴』の印刷費を振り込もうしたら、制度が変わって運転免許証などで本人確認ができないと10万円以上は振り込めないという。振り込め詐欺や違法な資金洗浄対策のためとのこと。一方でマネーロンダリングを可能にするカジノ法案を通しておいて、いかにもチグハグだと思うが、致しかなたない。

10日(土)土曜日は週報の作成や説教の準備。午後、会館7階の改修工事の完成引き渡しに立ち会う。クリスマスが近づき慌ただしくなって来た。(戒能信生)

2016年12月4日日曜日

2016年12月11日 午前10時30分
待降節第3主日礼拝(No37
     司式 茨木 啓子
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  93-1-11
讃 美 歌  242(12節、3節) 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編91・1~16(着席のまま)
讃 美 歌  565
聖書朗読  イザヤ書2・1-5
Ⅰテサロニケ書2・1-13
祈  祷
讃 美 歌  397
説  教  「働きながらの宣教」
      戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  229
使徒信条  (9341A
献  金            鈴木基三恵
報  告
頌  栄  83
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校(9:00)お話し・野口洋子、奏楽・戒能直子
・礼拝後、お茶の会

・婦人会例会 聖書の学び 使徒言行録5111 担当・戒能直子

2016年12月3日土曜日

牧師の日記から(86
1127日(日)待降節第一主日礼拝。イザヤ書11章のメシア預言から、説教「狼は子羊と共に宿り」。この箇所に着想を得た木村雄一さんの絵本『あらしのよるに』は、嵐の夜に雨宿りをした狼と山羊とが、暗闇の中で友だちになるというエピソードを描いている。害獣を排除して得られる平安ではなく、家畜と野獣が共生するこの平和のイメージを、この待降節に改めて覚えたい。礼拝後、内山央絵さんの車で小平霊園へ。故・齋藤晃子さんの納骨式の司式のため。斎藤家の墓所は、聖ヶ丘教会墓地のすぐ裏にある。ご家族と共に斎藤晃子のことを偲んだ。納骨式が終わるとまるで「涙雨」のように雨が降り出した。
28日(月)午前中、月曜会に出席するため東駒形教会へ。本田哲郎神父の対談集『福音の実り』を取り上げる。午後帰宅し準備をして、夜は日本聖書神学校の授業。この日は賀川豊彦を取り上げる。神学校の図書館で近藤勝彦さんの近著『キリスト教弁証学』を借りる。この大部な力作の中で、著者は近代日本におけるキリスト教の展開を取り上げている。その植村正久、内村鑑三、海老名弾正、さらに熊野義孝への評価と批判には学ぶところが大いにあるのだが……。
29日(火)午前中、錦糸町の賛育会病院で定期検診とインフルエンザの予防注射。その後直子さんと待ち合わせをして、鎌ヶ谷の荒井眞・久美子さん宅を初めて訪ねる。夜は、丸山久美子さんの『北森嘉蔵伝』が届いたので眼を通す。北森先生に私淑した著者が『神学的自伝』に沿ってこの神学者の生涯を懸命に追っているが、そこに批判的な視点が全く見られない。北森神学をただ礼賛するだけでは、その本来の問題提起の意味がかえって見失われるのではないか。
30日(水)聖書学ぶ会・祈祷会を終えて、急いでキリスト教会館へ。故・池田政一牧師関係資料をご遺族から教団宣教研究所に寄贈するのに立ち会う。池田牧師はホーリネス弾圧で投獄されているが、その判決文を含めて第一次資料がすべて揃っているのだ。長女の土岐祐子さんからこの貴重な資料の保存について相談を受け、宣教研究所への寄贈の仲介をした。日本ホーリネス教団弾圧資料室の上中栄牧師も同席された。その後、スコットホールで行われた「ララ70周年記念フォーラム」に出席。ララ(LARA)とは、敗戦直後アメリカの教会関係者から送られた食料や衣料品などの援助活動のこと。栄養不足であった私の母親がララ物資によって母乳が出て、私自身が育ったと聞かされている。しかしキリスト教色を極力排した活動だったためか、教会関係の資料に記録が残っていない。
121日(木)午前中、キリスト教会館の三者会。その後、NCAの事務所の仕事。会館7階の改装工事が始まり、その様子を確認する。

2日(金)10時半から板橋大山教会で支区連合祈祷会に出席して、詩篇13編から奨励。冬季は、夜ではなく午前中に開催されるのだ。午後帰宅して、4時から富坂キリスト教センターでの内面史研究会へ。旧満州帝国におけるミッション・スクールへの迫害とホーリネス弾圧の研究発表があった。(戒能信生)