2016年7月15日金曜日

牧師の日記から(67
7月10日(日)主日礼拝、エフェソ書3・11-22の講解説教。「敵意という隔ての壁を壊して」という言葉を手掛かりに、この手紙の信仰理解に触れる。ルターがパウロの手紙を読み解いて展開した「罪とその赦し」に集中する福音理解を、エフェソ書特有の「和解の福音」「平和の福音」への拡張として解釈できるのではないか。久しぶりに岡崎大祐さんが礼拝に出席されたのが嬉しい。またこの2月に生まれた横森英明・智子さんの第二子光ちゃんの幼児祝福式も行われた。さらに四竃揚先生ご長男・四竃純雄さんが礼拝に出席され、ご両親の葬儀などについてのお礼を述べられた。皆で一緒に食事に行くというので、婦人会は中止にする。こちらは東博昭さんとの受洗準備会。一緒にマタイ福音書の「山上の説教」を少しずつ学ぶことにする。この日は直子さんの誕生日なので、夜、子どもたちが全員集まって一緒に食事。テレビは参議院選挙の結果報道ばかり。早々に寝てしまう。
11日(月)午前中、西早稲田のキリスト教会館に行き、貸室の内覧に立ち会う。午後から日本聖書神学校で、礼拝のためのボイストレーニングに参加。夜は授業。先週も紹介した古い友人の宮坂覚さんも聴講してくれて、その後一緒に飲みに行く。芥川龍之介研究の第一人者である宮坂さんと、明治期のキリスト教受容の問題について議論して楽しかった。
12日(火)朝から会館管理組合委員会。午後はNCAの発送作業、運営委員会と続く。8月3日に熊本地震とその救援活動の報告会をすることになり、その準備。夜はそのまま山口里子さんの新約ゼミに参加。イエスに油を注いだ女性について、フェミニズム神学の立場から全く新しい解釈を示された。頭から油を注ぐのは預言者の行為と見做され、女性にふさわしくないので、足に注いで髪で拭いたと変えられたというのだ。「目から鱗」とはこのこと。
13日(水)聖書を学ぶ会で創世記50章を取り上げる。離散の民を背景とするヨセフ物語が、アブラハム・イサク・ヤコブの族長伝説と組み合わされることにより、旧約聖書の視野が国外に居住する離散の民にも拡げられることにる。午後は、キリスト者平和ネットのニュース・レターの連載コラムに「戦時下の神嘗祭」についての紹介を書く。
14日(木)12時過ぎの新幹線に乗って高崎に。両毛線の新前橋駅で、前橋中部教会の堀江知己牧師がピックアップしてくれて、牧浦一司さんが入居しているケアハウスへ。牧浦さんはベッドに身を起こして、相変わらず矍鑠として昔の大連教会の様子や親しい友人・知人の想い出話をしてくれた。

15日(金)午前中、農村伝道神学校の授業。この日が最終日で、隅谷三喜男先生の生涯を取り上げる。高柳校長と今後の授業について相談する。そろそろ後任の講師を捜してもらわねばならない。(戒能信生)

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