2016年3月4日金曜日

牧師の日記から(47「最近読んだ本から」
牧師になって初めて赴任した教会で、ある教会員のお宅を訪問した時のことです。狭い都営住宅の居間に置かれた小さな本箱に、ほんの僅かの書籍が並んでいました。何の気なしに眺めていると、こう言われました。「牧師先生は、私たちの代わりに本を読んで勉強してください。」以来、本を読むことを牧師の任務の一つと考えて来ました。何も神学書や専門書に限りません。生活に追われて本を読む余裕のない人たちに代わって、様々な本を読み、学んだことを教会員の皆さんにフィードバックすることも牧師の役割と受け止めて来たのです。ところで、この欄に紹介した書籍をアマゾンから取り寄せた方がおられるそうです。しかしその必要はありません。紹介した本は、印刷室の本棚に並べておきますので、貸し出しノートに必要事項を記入して、自由に持って行ってお読みください。以前の教会でもそうしていました。
G・パウゼヴァング『片手の郵便配達人』(みすず書房)作者はドイツの女性作家です。私も書評誌で初めてこの作家を知りました。1944年8月から45年5月まで、敗戦間際のドイツの片田舎を舞台に、ロシア戦線で負傷して片腕を失った17歳の郵便配達夫を主人公とする小説です。戦地からの手紙や戦死公報を届けるこの主人公の眼を通して、戦争末期のドイツ社会の様子が淡々と描かれます。その最後は衝撃的ですが、深い印象を残します。
伊藤亜沙『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)私たちの五感のうちで、視覚は特権的な情報源です。この視覚を取り除いたとき、脳や身体はどのように反応するかを描いています。著者はモダンアートを専攻する女性研究者で、視覚障碍者との共働の中で、見えない世界に果敢に切り込みます。例えば「視覚障碍者とつくる美術鑑賞ワークショップ」が紹介されています。同行した晴眼者が、障碍者に言葉で絵の説明をしなければなりません。そのやり取りの中で、思いもよらない発見があるというのです。つまり見えない人によって、見える者が全く新しい視点を与えられるというのです。一方で、視覚障碍者の異能への私たちの驚きと感嘆の中に差別視が混じっているという鋭い指摘にはハッとさせられました。
鶴見俊輔『まなざし』(藤原書店)昨年鶴見さんが亡くなってから何冊か刊行された追悼出版の一つです。鶴見さんの祖父・後藤新平、父・鶴見祐輔、姉・鶴見和子等についての私的な回想を中心に、これまで一般の書籍には掲載されなかったエッセイや文章が集められています。私は鶴見さんの愛読者で、多くを学んで来ましたが、その構えのないスタイルと野次馬精神、そしてしなやかでブレない姿勢に今もなお強い影響を受けています。

(この項続く 戒能信生)

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