2015年11月20日金曜日

牧師の日記から㉝「信濃町教会との講壇交換のこと」
先週1115日の主日礼拝は、北支区の講壇交換で、信濃町教会の笠原義久牧師が千代田教会で説教を担当してくれました。礼拝後、オリーブの会で笠原牧師を囲んで軽食を共にしながら懇談の時を持ちました。(とても和やかで楽しかったそうです)
私は信濃町教会で説教を担当しました。以下はその報告と感想です。実は、私は神学生時代の前後、10年近く信濃町教会で教会生活をしました。東京神学大学入学と同時に転入会し、東神大を追い出されて立教大学のキリスト教学科に編入した時期も、ずっと一貫して信濃町教会員だったわけです。ですから、私の青春時代の様々な想い出がこの教会にはいっぱいありますし、また親しい友人やお世話になった方々もたくさんいます。あれからほぼ40年が経ち、その間、様々な機会に信濃町教会を訪れることはあっても、教会員の皆さんと親しく顔を合わせる機会はほとんどありませんでした。
教会歴に合わせて、この日の教団の聖書日課のテキスト、出エジプト記3章を取り上げ「道を逸れて」という題で説教をしました。以前の古い会堂と違って、説教壇がそんなに高くなく、とても話しやすく感じました。礼拝出席者は150名くらいだったでしょうか、説教中に会衆を見まわしていると、次々に懐かしい顔を発見しました。皆さんとてもよく聴いてくれているという印象でした。
礼拝が終わって、会堂の入口に立って、教会員たちに挨拶をしました。次々に懐かしい人々が、40歳年齢を重ねた顔で言葉をかけてくれました。「とても良かった」「分かりやすかった」「話し方が上手だった」「感銘を受けた」等々と……。しかしどうもその様子が、私が他の教会で説教した時とはかなり違うのです。そのうちに事情が分かって来ました。まるで「放蕩息子の帰還」を迎えるという具合なのです。振り返ってみると、神学生時代の私は、この教会でさぞかし厄介者だったのでしょう。大学紛争で逮捕されたりして、ずいぶん迷惑をかけたり心配させたのだと思います。ですから、教会員の多くは、「まあ、あの乱暴者の戒能さんが、よくぞこんなに立派になって!」という感じで迎えてくれていたようなのです……。

礼拝後、比較的若い世代のグループの会に出席し、一緒に食事をし、楽しく懇談の時を持ちました。しかし何より驚いたのは、その中に40年前の教会学校での教え子が合わせて6名もいたことです。名前を聞くと、その当時の小学生の顔がありありと想い出されて来ます。歴史のあるこの教会が、教会学校から育ってきた若い世代の教会員たちによって担われているという事実に改めて感銘を受けました。(戒能信生)

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