2015年11月7日土曜日

牧師の日記から㉛「父の説教批判の想い出」
111日の永眠者記念礼拝に、久しぶりに名誉牧師の松野俊一先生が出席され、その時の詩編23編の説教についての感想をメールで送ってくれました。心のこもった暖かいアドバイスが記されていました。ご指摘の一つは、イエス・キリストの福音への言及がなかったことです。私自身も、ご指摘を頂くまでそのことに気がつきませんでした。旧約を説教で取り上げる際、それは一つの課題です。お礼のメールを書きながら、ずっと以前、私の父親が隠退して、当時私が責任を負っていた深川教会の礼拝に出席するようになった時のことを想い出しました。
父は、戦後、愛媛県西条市で開拓伝道を始め、西条栄光教会を設立し、73歳で隠退しました。隠退後、子どもたち全員が東京で生活していることもあり、浦安市にマンションを用意して父と母のリタイア後の生活をしてもらうことになりました。問題は二人の教会生活です。浦安には、姉たちが所属する浦安教会があり、そこに転会するのが自然と思われました。しかし一つの懸念がありました。父は、若い頃から他者の説教に対して仮借のない批判をすることで知られていたからです(これについての逸話がいくつもあります)。それまでも、時折上京して、深川教会の礼拝に出席すると、礼拝が終わるか終らないうちに、説教批判が始まるのです。それは実に遠慮会釈のない批判でした。曰く、贖罪信仰が不十分だ、福音の本質が語られていないなどと、厳しい非難が続くのです。もちろんこちらも黙っておらず、反論したり、反批判したりして来たのですが、父の隠退後、浦安教会の小林晃牧師(私の神学校時代の同級生であり親友です)に、これを毎週やられたのでは、あの温厚な小林牧師がさぞ困惑するだろうと心配でした。そこで、やむなく少し離れた私のいる深川教会で両親に教会生活をしてもらうことにしたのです。父親の説教批判は、息子が引き受けるべきだと考えたからです。

引越しが終わり、両親は毎週礼拝に出席するようになりました。ところが、一向に例の説教批判が始まらないのです。それどころか、今日の説教は良かったとか、改めて聖書の御言葉に感銘を受けたなどという反応が返ってくるだけです。拍子抜けがする想いでした。そのうちに事情が分かってきました。父は、現役の牧師時代には、言わば同労者の説教として私の説教を聞き、率直に批判をしていたわけです。ところが隠退すると、父はすっかり信徒に戻ってしまったのです。毎週礼拝に出席し、若い牧師の拙い説教に素直に耳を傾け、そこから慰めを得るようになったのです。こんなことなら、浦安教会に転会してもらうんだったと後で思いましたが……。松野先生のお便りに心から感謝しながら、亡き父のことを懐かしく想い出しました。(戒能信生)

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