2015年10月24日土曜日

牧師の日記から㉙「イチジクの樹とジャム造り」
教会の裏庭、集会室の南側に大きなイチジクの樹があります。今年も8月頃から実がなり始めました。牧師館二階のベランダから直子さんと協力して、実を収穫します。私が高枝切り鋏を伸ばして切り取り、それを直子さんは虫取り網で受け止めるのです。最初は難しくて、実を駄目にしたり、落としてしまったりもしました。しかしやがて慣れて来て、「そろそろイチジクを採ろうか」と声を掛け合うようになりました。千代田教会に赴任して、私は書斎に閉じ籠ることが多く、夫婦二人で一緒に作業をするということがほとんどなかったこともあり、イチジクの実の収穫は二人のささやかな愉しみになっています。三日おき位に収穫しますが、一度に20個ほどの熟れた実が採れます。そのまま食べてもおいしいし、生ハムを添えれば、しゃれた季節の前菜にもなります。しかし大部分は皮を剥いてざく切りにして冷凍庫に保存します。ちょっと見た目には挽き肉の塊のような感じで、リッチな気分?を味わえます。冷凍庫が一杯になると、直子さんがジャム造りを始めます。大きな鍋にイチジクのミンチとレモン、砂糖を加えて煮て、湯煎した瓶に詰めます。津金寿子さんにも手伝っていただいて、先週の教会バザーに30瓶ほど出品し、大変好評で完売しました。お買い求めくださった皆さん、お味はいかがでしたか。防腐剤の類は全く入っていませんので、お早目にご賞味ください。

ところで、イチジクは旧約聖書に最も頻繁に登場する果物だそうです。私はてっきり葡萄だと思っていたので、意外に思いました。『聖書大事典』によれば、「イチジクは旧約聖書に70回以上も記され、頻出度の首位を占める」とあります。創世記の伝えるエデンの園にも生えており、アダムとエバがその裸を隠したとされています(「二人の目が開け、自分たちが裸であることを知り、二人はイチジクの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。」創世記37)。古代イスラエルでは、通常は干しイチジクにしてお菓子代わりに食されたようです。また薬用として、腫物などの膏薬の代わりに利用されたとも記されています(列王記下207、イザヤ書3821)。預言者エレミヤは、有名な「良いイチジクと悪いイチジク」の比喩的預言を残しています(エレミヤ書24章)。そもそも旧約聖書の時代には、「人々は、ぶどうの樹とイチジクの樹の下で、安らかに暮らす」という慣用句があったようです(列王記上55、ミカ書44、ゼカリア書310)。つまり葡萄とイチジクの樹の下での生活が、何者にも脅かされない平和で豊かな暮らしを象徴したようです。すると、千代田教会の牧師館は、あと葡萄の樹があれば、理想的な住まいということになります。アッ、そう言えば、葡萄の樹の代わりに、柿の樹(もうすぐ実がなります)と、薔薇(もっと手がかかる)がありました。(戒能信生)

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