2015年10月11日日曜日

牧師の日記から㉗「ルイ・コンスタン神父のこと」
先週、『ブルターニュの貂 日本宣教60年の歩み』という一冊の本が送られて来ました。この夏の終わりにフランスで88歳で亡くなったルイ・コンスタン神父の最後の著作です。「ブルターニュの貂(てん)」は、ルイ神父の生まれ故郷を象徴する動物で、美しい毛皮で有名ですが、捕獲されるよりも自ら死を選ぶその性情から、ブルターニュ人気質を表すそうです。そう言えばルイ神父は、一度言い出したら聞かない頑固者の面をもっていました。
私が江東区の深川教会の牧師であった当時、すぐ近くの潮見カトリック教会の司祭がルイ神父でした。ルイ神父はパリ外国宣教会から派遣されてこの国のカトリック教会に長く仕え、永住権も取得した方でした。私は当時、塩浜地区の在日韓国・朝鮮人の子どもたちのための補習塾活動をしており、そのこともあって在日外国人の指紋押捺拒否を支える運動を始めていました。在日の子どもたちが、16歳になると例外なく指紋押捺を強制されるというこの国の制度を批判して、指紋押捺制度を撤廃させようという運動です(その後、運動が功を奏して、この制度は撤廃されました)。ルイ神父もこの活動に参加し、「人差し指の自由」のために、在日の子どもたちに連帯して自らも指紋押捺を拒否されたのです。外国人神父が、日本の法律や制度を批判して自ら法律に従わない行為を公にするのは異例中の異例のことでした。そのため、母上が亡くなってフランスに帰国しようとした時、法務省は指紋押捺拒否を理由に見せしめ的にルイ神父の再入国許可を出さず、神父は母上の葬儀に参加できませんでした。そのことを民事訴訟に訴えた際にも、その支援活動をしました(この民事訴訟は、その後、法務省が再入国許可証を発行することになり、和解で終わりました)。こういうこともあって私たちの家族とも親しい交わりが始まりました。独身のルイ神父を我が家に招いて一緒に食事をしたり、司祭館に一家で泊りに行って夜遅くまで話し込んだりしました。ルイ神父の紹介で、カトリック東京教区司祭の黙想会に招かれたり、深川教会と潮見カトリック教会で交換講壇をしたりしました。おそらくこの国で初めてのケースだったと思います。おかげで当時の白柳誠一大司教や森一弘司教とも親しくなり、私自身のカトリック教会への関わりも生まれました。

その後、ルイ神父は、高幡教会、成城教会、そして最後は志村教会の主任司祭を担われ、今年の春叙階60年を祝われたのを機に、故国に帰国したばかりだったのです。毎年お正月になると、決まってルイ神父から電話がかかって来て、今年こそ会おうねと言い交わしながら、それがかないませんでした。生涯をこの国の労働者や少数者のために献げたルイ神父の働きを覚えながら、その残された著書を繰り返し読んでいます。(戒能信生)

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