2015年10月31日土曜日

牧師の日記から㉚「戦前、外地にあった邦人教会のこと」
私は日本キリスト教史を自分のささやかな勉強の領域として来ました。その中で、戦前、台湾や朝鮮、そして満州等の各地にあった邦人教会のことが気になっていました。ほとんど資料がなく、研究者もいないからです。
近代日本が明治期以降、アジアの各地に進出して行くにつれ、それぞれの地に邦人教会が数多く設立されて行きます。昭和16年版『基督教年鑑』でその数を数えてみると、樺太13教会(教会員635人)、台湾36教会(3056人)、朝鮮56教会(5829人)、満州51教会(4539人)、中国28教会(1014人)、マニラやシンガポールなど南洋各地9教会となっています。その中には、千代田教会の前身にあたる大連日本基督教会も含まれます。これだけの教会があり、これほどの教会員がいたのです。しかしこれらの教会は、敗戦によってすべて「放棄」され、教会員たちは敗戦後の混乱の中で、大変な苦労をしながら内地に引き揚げなければなりませんでした。こうしてかつて外地にあった邦人教会の歴史は途絶してしまいます。したがってその歴史や資料もほとんど残されていません。以前紹介した大連日本基督教会の月報『霊光』は、その意味で極めて貴重な第一次資料なのです。
ところで、これらの外地にあった邦人教会の教会員たちは、戦後日本に引き揚げて来て、その労苦多い戦後の生活の中で最寄りの教会で教会生活を再開します。しかし、引揚者たちの共通の感覚として、戦後の日本社会に自分たちの居場所がない、あるいはどこか馴染めないものを感じる場合が少なくなかったようです。教会生活も同様で、引揚者たちはいつしか仲間内で集まって、引揚者を中心とした教会を再建することになります。私が知っているだけでも、台北日本基督教会の上與二郎牧師たちが千歳教会(中野区鷺宮)を、大連組合教会の磯部俊郎牧師たちが敷島教会(世田谷区桜上水、その後廃止)を、上海日本基督教会の中澤豊兵衛牧師たちが東京復活教会(中野区新井薬師、その後移転して、現在は多摩市落合)を、そして大連日本基督教会の白井慶吉牧師たちが千代田教会(新宿区四谷坂町)を再建しています。

戦後再建されたこれらの教会には、ある共通点があります。外地から引き揚げてきた教会員たちがその核になったこと、そして日本的かつ、終末論的?な教会名称が付けられていることです。敗戦と引き揚げの経験で、それまでの生活基盤の一切、土地も家屋も、その他の財産も一挙に失うという痛苦な体験がそこにあったのではないかと想像します。これらの教会のその後の歩みは、それぞれ別の物語があるようです。機会があったら、そのいくつかを紹介することにしましょう。(戒能信生)

2015年10月25日日曜日

2015年11月1日 午前10時30分
永眠者記念主日礼拝No.30
     司式 茨木 啓子 
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  イザヤ書43・1(93-1-5
讃 美 歌  11 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編32・1~11
讃 美 歌  120
聖書朗読  詩編23・1-6
祈  祷
讃 美 歌  382
使徒信条  (93-4-1A)
永眠者氏名朗読
説  教  「死の蔭の谷を行く時も」  
戒能信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  385
献  金  対外献金「水害に遭った水海道教会のために」     石井房恵
報  告
頌  栄  24(二度繰り返して)
派  遣
祝  福

後  奏         

2015年10月24日土曜日

牧師の日記から㉙「イチジクの樹とジャム造り」
教会の裏庭、集会室の南側に大きなイチジクの樹があります。今年も8月頃から実がなり始めました。牧師館二階のベランダから直子さんと協力して、実を収穫します。私が高枝切り鋏を伸ばして切り取り、それを直子さんは虫取り網で受け止めるのです。最初は難しくて、実を駄目にしたり、落としてしまったりもしました。しかしやがて慣れて来て、「そろそろイチジクを採ろうか」と声を掛け合うようになりました。千代田教会に赴任して、私は書斎に閉じ籠ることが多く、夫婦二人で一緒に作業をするということがほとんどなかったこともあり、イチジクの実の収穫は二人のささやかな愉しみになっています。三日おき位に収穫しますが、一度に20個ほどの熟れた実が採れます。そのまま食べてもおいしいし、生ハムを添えれば、しゃれた季節の前菜にもなります。しかし大部分は皮を剥いてざく切りにして冷凍庫に保存します。ちょっと見た目には挽き肉の塊のような感じで、リッチな気分?を味わえます。冷凍庫が一杯になると、直子さんがジャム造りを始めます。大きな鍋にイチジクのミンチとレモン、砂糖を加えて煮て、湯煎した瓶に詰めます。津金寿子さんにも手伝っていただいて、先週の教会バザーに30瓶ほど出品し、大変好評で完売しました。お買い求めくださった皆さん、お味はいかがでしたか。防腐剤の類は全く入っていませんので、お早目にご賞味ください。

ところで、イチジクは旧約聖書に最も頻繁に登場する果物だそうです。私はてっきり葡萄だと思っていたので、意外に思いました。『聖書大事典』によれば、「イチジクは旧約聖書に70回以上も記され、頻出度の首位を占める」とあります。創世記の伝えるエデンの園にも生えており、アダムとエバがその裸を隠したとされています(「二人の目が開け、自分たちが裸であることを知り、二人はイチジクの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。」創世記37)。古代イスラエルでは、通常は干しイチジクにしてお菓子代わりに食されたようです。また薬用として、腫物などの膏薬の代わりに利用されたとも記されています(列王記下207、イザヤ書3821)。預言者エレミヤは、有名な「良いイチジクと悪いイチジク」の比喩的預言を残しています(エレミヤ書24章)。そもそも旧約聖書の時代には、「人々は、ぶどうの樹とイチジクの樹の下で、安らかに暮らす」という慣用句があったようです(列王記上55、ミカ書44、ゼカリア書310)。つまり葡萄とイチジクの樹の下での生活が、何者にも脅かされない平和で豊かな暮らしを象徴したようです。すると、千代田教会の牧師館は、あと葡萄の樹があれば、理想的な住まいということになります。アッ、そう言えば、葡萄の樹の代わりに、柿の樹(もうすぐ実がなります)と、薔薇(もっと手がかかる)がありました。(戒能信生)

2015年10月18日日曜日

2015年10月25日 午前10時30分
聖霊降臨節第23主日礼拝No.29
     司式  橋本 茂
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  (93-1-10
讃 美 歌  10 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編30・1~13
讃 美 歌  451
聖書朗読  創世記19・1-29
祈  祷
讃 美 歌  441
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  「ソドムの町の10人の故に」  
戒能信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  444
献  金             石井房恵
報  告
頌  栄  88(二度繰り返して)
派  遣
祝  福

後  奏         

2015年10月17日土曜日

牧師の日記から㉘「須賀敦子さんの随筆」
書斎の入り口の壁に、文庫・新書専用の書棚があります。書庫の文庫・新書類はまだ整理がつかず段ボール箱につめ込んだままだったのを、羊子が何箱か開けてこの書棚に並べてくれました。引越しの時、大量に書籍の処分をして、再読しないと思われる文庫類は千冊以上ブックリサイクルに送りましたので、残っているものは、言わば私の愛読書ということになります。同じ作家の同じ文庫本を繰り返し読んでいるものあります。
私の場合、これまで主に電車の中が文庫本を読む時間でした。ところが千代田教会に来てから、あまりにも交通至便な場所にあるので、どこに行くにしても電車に乗る時間が大幅に短縮されてしまいました。神学校に行くのにも、キリスト教会館に行くのにも電車の乗車時間は15分前後で済みますので、なかなか本が読めません。でも長い間の習慣で、出がけにこの書棚から文庫本を抜き出して鞄に忍ばせていくことになります。
先日、何の気なしに選んだのが須賀敦子さんのエッセー集『ユルスナールの靴』でした。須賀さんは、イタリア文学の翻訳家ですが、長くミラノに在住していた人で、晩年は帰国して上智大学の教員をしていました。彼女はカトリック系の学校を出て、パリに留学しましたが、フランスの思弁的な哲学がどうしても肌に合わず、イタリアに留学し直した人です。若い時期、カトリック左派のエマウス運動にも関わった人で、思想的にも私は親近感がありました。しかしなにより中年になって書き出した彼女のエッセーの文体が魅力的で、刊行されている彼女の本はほとんど目を通しているはずです。ミラノでの経験や、長い期間にわたる精神的な放浪の思い出、日本の家族たちとの回想などを綴ったその文章は、ある種の艶というか、リズム感があり、今回再読して、改めて他のエッセー集にも手を出して再読してしまいます。
同じイタリアに住む作家では塩野七生さんの本も結構読んでいて、『ローマ人の物語』を初め文庫本になっているものはほぼ目を通していますが、塩野さんの文体が硬質で論理的なのに比べると、須賀敦子さんの文章には抒情性があり、詩的な魅力があります。私は日本の女性作家たちの文体に馴染めず、長く食わず嫌いでしたが、どういう訳か海外生活の長いこの二人の女性の文章は愛読して来ました。

千代田教会に来たら時間的余裕が出来て本を読むことが出来るだろうと期待していたのですが、少し暇になったようだと思われるらしく、講演や原稿執筆の依頼が次々に舞い込み、その準備に追われる日々が続いています。書棚に並んだ文庫本や新書類を眺めながら、いつになったらゆっくりこれらを再読することが出来るだろうかと嘆息しています。(戒能信生)

2015年10月11日日曜日

2015年10月18日 午前10時30分
聖霊降臨節第22主日合同礼拝No.28
     司式  高岸 泰子
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  (93-1-10
讃 美 歌  10 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編29・1~11
讃 美 歌  418
聖書朗読  マタイ福音書6・9-13
祈  祷
讃 美 歌  451
使徒信条  (93-4-1A)
子どもの祝福
説  教  「主の祈り⑤御心を地にもなさせ
まえ」     戒能信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  409
献  金             萩原好子
報  告
頌  栄  88(二度繰り返して)
派  遣
祝  福

後  奏         
牧師の日記から㉗「ルイ・コンスタン神父のこと」
先週、『ブルターニュの貂 日本宣教60年の歩み』という一冊の本が送られて来ました。この夏の終わりにフランスで88歳で亡くなったルイ・コンスタン神父の最後の著作です。「ブルターニュの貂(てん)」は、ルイ神父の生まれ故郷を象徴する動物で、美しい毛皮で有名ですが、捕獲されるよりも自ら死を選ぶその性情から、ブルターニュ人気質を表すそうです。そう言えばルイ神父は、一度言い出したら聞かない頑固者の面をもっていました。
私が江東区の深川教会の牧師であった当時、すぐ近くの潮見カトリック教会の司祭がルイ神父でした。ルイ神父はパリ外国宣教会から派遣されてこの国のカトリック教会に長く仕え、永住権も取得した方でした。私は当時、塩浜地区の在日韓国・朝鮮人の子どもたちのための補習塾活動をしており、そのこともあって在日外国人の指紋押捺拒否を支える運動を始めていました。在日の子どもたちが、16歳になると例外なく指紋押捺を強制されるというこの国の制度を批判して、指紋押捺制度を撤廃させようという運動です(その後、運動が功を奏して、この制度は撤廃されました)。ルイ神父もこの活動に参加し、「人差し指の自由」のために、在日の子どもたちに連帯して自らも指紋押捺を拒否されたのです。外国人神父が、日本の法律や制度を批判して自ら法律に従わない行為を公にするのは異例中の異例のことでした。そのため、母上が亡くなってフランスに帰国しようとした時、法務省は指紋押捺拒否を理由に見せしめ的にルイ神父の再入国許可を出さず、神父は母上の葬儀に参加できませんでした。そのことを民事訴訟に訴えた際にも、その支援活動をしました(この民事訴訟は、その後、法務省が再入国許可証を発行することになり、和解で終わりました)。こういうこともあって私たちの家族とも親しい交わりが始まりました。独身のルイ神父を我が家に招いて一緒に食事をしたり、司祭館に一家で泊りに行って夜遅くまで話し込んだりしました。ルイ神父の紹介で、カトリック東京教区司祭の黙想会に招かれたり、深川教会と潮見カトリック教会で交換講壇をしたりしました。おそらくこの国で初めてのケースだったと思います。おかげで当時の白柳誠一大司教や森一弘司教とも親しくなり、私自身のカトリック教会への関わりも生まれました。

その後、ルイ神父は、高幡教会、成城教会、そして最後は志村教会の主任司祭を担われ、今年の春叙階60年を祝われたのを機に、故国に帰国したばかりだったのです。毎年お正月になると、決まってルイ神父から電話がかかって来て、今年こそ会おうねと言い交わしながら、それがかないませんでした。生涯をこの国の労働者や少数者のために献げたルイ神父の働きを覚えながら、その残された著書を繰り返し読んでいます。(戒能信生)

2015年10月4日日曜日

2015年10月11日 午前10時30分
聖霊降臨節第21主日伝道礼拝No.27
     司式  荒井久美子
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  (93-1-10
讃 美 歌  10 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編28・1~9
讃 美 歌  475
聖書朗読  エレミヤ書9・22-28
      Ⅰコリント書1・26-31
祈  祷
讃 美 歌  53
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  「知恵ある者に恥をかかせ」
              龍口奈里子牧師
祈  祷
讃 美 歌  433
献  金             橋本 茂
報  告
頌  栄  88(二度繰り返して)
派  遣
祝  福

後  奏         

2015年10月3日土曜日

牧師の日記から㉖「礼拝のためのボイス・トレーニング」
私が責任を負っている日本クリスチャン・アカデミーのプログラムの一つに、「礼拝のためのボイス・トレーニング」という講座があります。礼拝の司式、聖書朗読、説教等のためにボイス・トレーニングが必要ではないか(神学校でこういう授業はありません)という声に応えて、今年から新しく始まったプログラムです。私自身も、自分の聖書や式文の朗読に難を感じており、特に説教の言葉に訛りがあり、また早口になって発語が明瞭ではないことを痛感して来ました。私自身の必要からこの講座を企画したと言っても過言ではありません。講師は、元・劇団員で、声優の友野富美子さんです。日本聖書神学校での私の教え子の一人ですが、神学校の礼拝での彼女の聖書朗読や祈りには以前から深い感銘を受けてきました。この春卒業して牧会に出ているのですが、特にお願いして講師を引き受けてもらいました。
928日の午後、日本聖書神学校の教室をお借りして、第1回のプログラムが実施され、言い出しっぺの私も参加しました。

発声訓練から始まるのかと思っていたら、先ず自分の身体の各部分(顔や頭、肩や腕、そして足)に触ってその感触を確かめることから始まりました。それから、靴を脱いで裸足になり、足を組んで、その片方の足の指の間に手の指をしっかり入れてマッサージをしながら、参加者同士の自己紹介です。こんな姿勢で初対面の挨拶をしたことはありませんが結構楽しいものです。それから裸足で床に立つ姿勢の矯正です。まっすぐに立っているつもりでも、猫背になっていたり、背骨が曲がっていたりするらしいのです。自分の立っている姿勢のことなど考えたことがありませんでしたからちょっと途惑いました。次に呼吸の訓練です。息を吸って吐くという当たり前のことですが、これが発声に大きく関係するそうです。発声する時は必ず息を吐いており、発語の合間に無意識に息を吸っていることを改めて知りました。息を吐きながら「スー」という音と「ズ-」という音を出し続けるのとでは、後者の方が早く息切れてしまうことも初めて知りました。それ以外にもこちらの予想とは違う様々なエクササイズがゲーム感覚で次々に行われます。これがボイス・トレーニングとどうつながるのか半信半疑の中で、2時間のプログラムは終了しました。参加者は、全部で12人。牧師や神学生もいますが、信徒の方で礼拝の司式の際の発声や聖書朗読に自分で問題を感じている人たちも加わっています。ともかく、全部で5回のプログラムが終わると、講師の友野先生によれば、驚くほど発声や発語が変わっているそうです。どうぞ今からご期待ください。また、この講座は来年も開かれる予定ですから、興味のある方は覗いてみてください。(戒能信生)