2015年8月15日土曜日

牧師の日記から⑲「ある一日」
810日(月)、朝9時に鈴木志津恵さんから電話があり、三郎さんが再び危篤状態に陥り、今から病院に行くとの連絡があり、私も病院に駆けつけました。昇圧剤の効果で少し血圧は戻ったものの、意識がなく、呼吸も荒い状態です。耳元で今日の聖句を読み祈りました。急変したら連絡をくれるように頼んで、明治学院で行われる研究会に直行しました。豊川槙さんの発表「河井道と日本基督教団」に応答者としての責任があったためです。この研究会は、富阪キリスト教センターで土肥昭夫先生を中心に続けられて来た「天皇制とキリスト教」研究を引き継ぐもので、吉馴明子さんが座長です。この日は柳生圀近(東北大)、石井摩耶子(恵泉女子大)、遠藤與一(明治学院大)、岡部一興(横浜プロテスタント史研究会)さんたちが参加されました。皆さん実績のある研究者たちですが、日本基督教団の実情には詳しくなく、それで私が応答者として招かれたわけです。事情を説明して、携帯に緊急の連絡があった場合は途中で失礼するとお断りしました。

河井道は、言うまでもなく恵泉女子学園の創立者です。新渡戸稲造の薫陶を受け、アメリカの名門女子大ブリマーで学び、帰国後は日本YWCAの創設に参画してその初代日本人総主事を担った女性です。戦前、英語を自由に操り、国際会議で活躍できる女性は限られていたので、1938年のインドのマドラス会議、1941年の遣米使節団にも参加しています。そして戦後は、文部省の教育刷新委員を委嘱され、「教育基本法」の制定に寄与した人です。つまり戦前・戦中・戦後にわたって、キリスト者として、女性として、そして教育者としてこの国を代表する存在でした。その河井道の戦時下の時局についての発言や、特に天皇制に関する認識を批判的に取り上げ、それが大方のキリスト者たちの意識と重なるのではないかという研究発表でした。いくつかのコメントをして応答者としての責任を果たしましたが、私自身いろいろ学ばされ、考えさせられ、課題を与えられました。その帰り道、鈴木三郎さんが亡くなったと連絡がありました。急いで帰宅し、着替えて病院に出向き、鈴木志津恵、基三恵、愛加さんたちと共に枕頭の祈りをしました。その後、ご遺体を教会に搬送し、葬儀社のスタッフも交えて葬儀の打ち合わせをしました。慌ただしい牧師の一日でした。(戒能信生)

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