2015年7月4日土曜日

牧師の日記から⑬
千代田教会の創立は、194754日とされています。この日、飯田橋の東京YMCA講堂(旧・植村記念会館)で最初の礼拝をしたからです。その後、現在地「新宿区坂町10番地」に土地を取得、19511111日に献堂式をしています。
ところでこの四谷周辺の地域に、明治・大正期にどのような教会があったかを調べていて、バプテスト四谷教会(四谷浸礼教会)の存在を知りました。この教会は、現在四谷1丁目にある四谷新生教会(1951年創立)とは別で、固有の長い歴史があったのです。
四谷浸礼教会の創立は、1888(明治21)年のフィッシャー宣教師による四谷講義所に遡ります。その後、この教会は四谷周辺を何度も移転していますが(荒木町に集会所があった時期もある)、1913(大正2)年に四谷箪笥町94に集会所を移します(現在の千代田教会から100メートルほど四ツ谷駅寄りの場所)。この時代の四谷浸礼教会の様子を作家の吉屋信子が小説『地の果まで』に詳しく描いています。また最初の歌謡曲歌手となった佐藤千夜子もそのメンバーでした。現在の四谷新生教会の場所にバプテストの女子寄宿舎があったためです。その後、1922年(大正11年)に四谷南寺町48(現在の須賀町14-1)に新しく土地を求めて移転、立派な礼拝堂を献堂して、活発な宣教活動を展開していました。しかし戦災で焼失したことと、戦後キリスト教ジャーナリズムで活躍した阿部行蔵牧師(都立大学教授、後の革新系立川市長)の既存の教会へのラディカルな批判もあって、1962年に解散し、教会員は近隣の早稲田教会などに転籍して行きます。

この四谷浸礼教会が左内坂町(現在の防衛庁の東側、市ヶ谷駅寄りの場所)に会堂があった時期の記録に、救世軍の山室軍平、ホーリネスの中田重治と並んで、組合教会の松野菊太郎牧師が何度も講壇に招かれて応援しているという記録を見つけて驚きました。すなわち千代田教会名誉牧師松野俊一牧師の祖父にあたります。その当時、バプテスト教会は教派を超えた交流をしていたことが判ります。四谷周辺のキリスト教宣教の歴史からいろいろ学ばされることがありそうです。(古谷圭一著『近代日本の戦争と教会 日本基督教団四谷教会史』さんこう社、2011年を参考にしました。)(戒能信生)

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