2015年6月27日土曜日

牧師の日記から⑫
62223日、箱根湯本の温泉ホテルで行われた同信伝道会の研修会に参加しました。同信伝道会は、同志社神学部出身の牧師たちの集まりで、私自身は全くの部外者です。今回、部外者から組合教会をどう見ているかというテーマを与えられ、「新島襄と海老名弾正のキリスト教受容に遡って」私が考えさせられていることを講演しました。40名余りの牧師たち(何人かの信徒も方も含まれていましたが)を前に、同志社の創立者である新島襄について批判的に語るという冒険をしたわけです。でもいい勉強の機会になりました。温泉に入り、親しい友人たちともゆっくり話すことができたのは何よりでした。
ところで久しぶりに箱根に行き、小田急線から丹沢山系を眺め、箱根の山の緑を見てホッとしました。私は四国の西条という小さな町に育ちましたので、いつもどこでも山が見えていました。石鎚山、瓶ヶ森、笹ヶ峰という2000メートル弱の高さですが、それでも西日本有数の四国連峰の麓で育ったので、自分の部屋からも教室の窓からも、歩いている路でも、いつも山を身近に見上げてきました。東京に出て来て長いのですが、今でも山が見えるとどういうわけかホッとします。
詩編に「我、山に向かいて目を上ぐ」(詩編121篇)という有名な都詣での歌があります。讃美歌にもなっています(21-155)。この詩編は、本来は都への旅を峻嶮な山々が阻害していることを取り上げて「我が助けは何処より来るか」と問いかける歌だったようです。つまり厳しい自然は人間の敵としてイメージされているようです。ところがこの国では、この讃美歌は別所梅之助の訳詩によって親しまれ、一種の山岳信仰を背景に受け取られて愛唱されて来たように思います。山を見ると落ち着くという私の感覚も、それと似ているのかもしれません。

そう言えば、40年近く前、結婚したばかりの直子さんと私がギクシャクしかけて、思い切って箱根の出版健保の保養所を借りて一泊の旅行をしたことがあります。それが私たちの実質的な新婚旅行でした。その時、やはり箱根の山と緑の自然を眺めて癒されたような想いになったことを思い出しました。東京のど真ん中にある千代田教会からは、どこにも山は見えません。たまに旅に出て山々を眺めるのもいいものです。(戒能信生)

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