2015年4月26日日曜日

式次第 2015年4月26日

2015年4月26日 午前10時30分
復活節第4主日礼拝(今年度No.4
   司式  萩原 好子姉
    奏  黙 想     奏楽 釜坂由理子姉
招  詞  (93-1-44
讃 美 歌  16番 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編4編1~9節
讃 美 歌  58番
聖書朗読  創世記12章1~9節
祈  祷
讃 美 歌  194番
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  『アブラハムの出発』
戒能信生牧師
祈  祷   
讃 美 歌  458番
献  金               荒井 眞兄
報  告
頌  栄  83番
派  遣
祝  福
後  奏

牧師の日記から② 2015年4月26日

牧師の日記から
 私の活動の一つに、いくつかの神学校への出講があります。これは、20年ほど前から始まり、現在では日本聖書神学校、農村伝道神学校、東京バプテスト神学校と拡がってきました。主に、「日本キリスト教史」「日本宗教史」「日本基督教団史」「日本宣教論」等の講義を担当しています。私自身は神学校を卒業しておらず、牧師(信徒伝道者)として働きながら、ほとんど独学に近い形で勉強してきました。もともとの自分の勉強の領域は新約聖書学だったのですが、いつしか必要に迫られて、この国のキリスト教の歴史、教派や教会の歩みを資料を読み解きながら跡付ける学びを続けてきました。日本基督教団宣教研究所の教団史資料編纂に関わり、『日本基督教団史資料集』(全5巻)を編纂する仕事をしたことが大きかったと思います。
 前任地を辞任するにあたって、当初は地方の教会への赴任を希望していましたから、各神学校への出講は出来なくなると考え、私の後任の担当者の相談までしていました。ところが思いもよらぬ仕方で、都内の千代田教会に赴任することになり、各神学校から当然のように講師を継続するように求められたのです。2015年度の今年は、日本聖書神学校「日本キリスト教史」(通年、毎週月曜日夜)、東京バプテスト神学校「日本キリスト教史」(49月、木曜日夜)、農村伝道神学校「日本宗教史」(72124日、集中講義)を担当することになっています。授業の準備は、もう積み重ねがあり馴れているとは言え、結構大変です。けれども、教える立場に立つことは、何より学ばされることです。学生たちに教えてみると、自分の理解が不十分であったり、曖昧であることがよく分かります。神学校で教えることは何より自分のための勉強の機会でもあるのです。これからこの国の諸教会を担う教師の養成に関わる働きを担っていることにご理解頂きたいと思います。

 前任地の教会でも、私が神学校で教えていることを教会員たちにもフィードバックしてほしいという要望があり、毎週水曜日の午後、「東駒形セミナー」を開講したことがあります。あるいは、そのうちそのような機会があるかもしれません。(戒能信生)

2015年4月19日日曜日

式次第 2015年4月19日

2015年4月19日 午前10時30分
復活節第3主日礼拝(今年度No.3
  司式   高岸 泰子姉
    奏  黙 想    奏楽  内山 央絵姉
招  詞  (93-1-44
讃 美 歌  16番 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編3編1~9節
讃 美 歌  327番
聖書朗読  フィリピ書1章3~11節
祈  祷
讃 美 歌  171番
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  『重要なことを見分けること』
戒能信生牧師
祈  祷   
讃 美 歌  476番
献  金               常盤陽子姉
報  告
頌  栄  83番
派  遣
祝  福
後  奏 

牧師の日記から① 2015年4月19日

牧師の日記から
 417日(金)の夜、富坂キリスト教センターで池明観先生を囲む会「北東アジアの状況について語る」が行われました。私はその司会の役割を負っていましたので参加して来ました。50名ほどの限られた集まりでしたが、とても印象的な集会でしたので、ごく簡単な報告をします。池明観先生は、1970年代の半ばから始まった韓国民主化闘争において、雑誌『世界』に「TK生」の筆名で、「韓国からの通信」を15年にわたって書き綴った韓国人キリスト者です。民主化のための韓国教会や民衆・学生たちの戦いのドキュメントが、様々な手段で日本に持ち込まれ、それがTK生の筆によって世界に発信されて行きました。そして日本の教会は、その働きを支えることが出来たのです。私は当時まだ駆け出しの牧師でしたが、その活動のほんの小さな末端を担うことが出来ました。それは、本当に貴重な体験でした。戦前の日本の侵略の歴史を知るアジアの教会は、戦後も日本の教会を心から受け入れようとはしませんでした。1967年に出された教団の「戦争責任告白」によっても、その関係は必ずしも好転しなかったのです。それが、韓国民主化闘争支援を日本の教会が担うことによって、以降、韓国のみならずアジアの教会との交流が深められていくことになります。

 この集会では、1971年生まれの李泳采さん(恵泉女学園大学教授)による「日韓国交正常化50年 今我々に問われている真の市民連帯とは」という発題(これもなかなか刺激的なスピーチでした)を受けて、91歳になる池明観先生が応答されました。それは、現在の膠着状態に陥っている日韓関係や北朝鮮との対応、さらに北東アジアの未来に向けて、大きな視野に立つ希望に満ちた提言でした。確かに現在は、日本の現政権の保守化や、中国の台頭などによって、明るい未来は開けそうに見えないけれども、希望を失ってはいけない。そのために教会は「境界線に立ち続けながら」、和解の使命を担っていかなければならないというメッセージでした。集会には、キリスト者だけでなく、NHKや各新聞社の記者も参加していましたが、久しぶりに熱気あふれる、そして困難の中でも希望を語り合う集まりでした。短くその報告を紹介しました。